死について

 最新の霊方面の研究によると、日本人は死んだ後、魂が九州に向かうらしい、とわかってきたそうだ。
 しご(肥後)熊本、なんツって。


 ……ダメだね。わたしにもダジャレ脳の恐怖が迫ってきたようだ。


 どういうわけか、死んだ後のことがとんと気にならず、なるようにしかならんだろ、と思っている。


 子供の頃はそうではなくて、死ぬ、ということが怖くてしょうがなかった。
 死んだ後、どうなるのかということも、よく考えていた覚えがある。考えていた、というより、考えないではいられなかった、と言うべきかもしれない。


 いつ頃までだろう。中学生くらいまでか。
 それが、だんだんそういうことは考えなくなって、今ではこのテイタラクだ。人間がどんどん馬鹿になってきているのだろう。


 もっとも、今んところ、死ぬことがそう差し迫った問題じゃないから、のんきに構えていられるのかもしれない。
 明日ありと思う心のあだ桜。今日明日にでも、余命を宣告されたら、急に恐ろしく、未練がましくなるのかもしれない。


「おまえ、死ぬよ」
「え」
「死ぬ」
「いつ」
「そのうち」
「そのうちって、いつだ」
「へたすりゃ五十年後」


 まあ、余命半世紀を宣告されても困るが。