この日記でも何度か書いた覚えがあるが、わたしはアニメと少女漫画が苦手で、特に縦長の巨大な黒目(青目だったりもするようだが)にキラキラお星様、というのが奇怪に見えてしょうがない。
「少なくとも地球上の生物ではなさそうだな」と思う。
他の人があれを平気で受け入れているらしいことも不思議である。変に見えないのだろうか。
昔、自分の顔をアニメ調にしてみたことがあったな。
ああ、あった、あった。
現実にこんなやつがいたら、恐ろしい。
まあ、リクツではわかるのだ。
絵というのは、昔から実際に見える通りに描くものではない。様式を取るか、写実を取るか、といえば、古今東西、人間は様式を取ってきた。
写実に走ったのは、一部の地域の一時期のこと(ヨーロッパで15世紀〜19世紀半ばくらい?)で、それとて、実は一種の様式だったのかもしれない。
古代エジプトといえば、頭が横、胴体が正面、足が横、という人々だか、神々だかが列をなす絵が思い浮かぶ。
古代エジプトの人は、別にあれを変に思っていたわけではなかろう。
あるいは、平安美人。
平安時代のやんごとなき人々がこんなシモブクレに細目の人ばかりだったのかどうかはわからない。たぶん、違うのではないか。
しかし、我々は「平安といえばこんな顔」と了解している。
土佐光起のこの絵自体は江戸時代初期に描かれたものだ。たぶん、当時の絵師も、「源氏物語といえばこんな顔」と決めてかかっていたのだろう。
絵には絵の秩序、様式、おおげさに言えば、世界観のようなものがあって、やっぱり、次のようなものはしっくり来ないのである。
雅(みやび)も何もあったものではない。光源氏なんて、キラキラのお目々に欲情むきだしだ。
この絵がなぜ変かというと、縦長の巨大な黒目が絵の秩序、様式、世界観をぶちこわしているからだろう。
ならば、アニメや少女漫画も、あれはあれなりの絵の秩序、様式、世界観を持っているのだから、いいではないか――と言われれば、リクツではそうだと思うけれども、やはり奇怪である。少なくともわたしには。
みなさん、一度、素に戻って、あの手の絵を見直してみてください。やっぱ、変じゃないっスか? え、別に変じゃない? そうかなあ。おれが変なのかなあ。
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「今日の嘘八百」
嘘三百五十三 進化論の見地から言うと、ああいう目は樹上生活に向いているのだそうだ。