日本の僧

 仏教の加持祈祷というものに以前から疑問を持っていて、あれは何なのだろう、と思う。


 わたしは別に仏教を学んだことはなく、知識といっても、せいぜい高校の社会科程度なのだが、その範囲では、あの加持祈祷というものがお釈迦様の説いた教えだったとは思えない。
 あくまで宗教の内側からの話ではなくて、外側からリクツで考えた話だが。


 まあ、獅子(ライオン)のイメージがインドから日本へと伝わる間に激しく変貌して、狛犬調のものになってしまったように、仏教も日本に伝わる間に他の宗教とごっちゃになって、激しく変貌したのだろう、とは思う。


 源氏物語を読むと、当時は物の怪というものが大まじめに信じられていて、時に高僧が加持祈祷で退散させる。
「さすが有徳の僧!」、パチパチパチ、となって、それは物語としては結構なのだが、その有徳の坊さんの「徳」って、いったい何だったのだろうか。


 仮に、お釈迦様の教えを仏教の根本とするなら、物の怪を退散させる高僧は、少なくとも仏教における徳とは別の尺度で評価されているように思う。
 むしろ、「とっとと諦めなさい」という仏教の姿勢とは、反対のことをやっているように思えるのだがどうだろう。


 当時の有徳の僧が極楽に行ってお釈迦様と話したら、「えええっ?!」と驚愕したんじゃなかろうか。


 もっとも、蓮の花咲く極楽なんてものも、お釈迦様の教えからすると、いささか怪しそうだけど。

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「今日の嘘八百」


嘘四百八十四 お釈迦様が極楽から日本の仏教を見て、ぽろぽろと涙を流し、「あ〜あ、私の教えもオシャカだ」とつぶやいた。