一人歩き

 柳沢厚労相が「産む機械」とやらかして袋だたきに遭っているが、あれはどうも言葉だけが一人歩きしているようだ。


「女性は子供を産む機械」と出会い頭に言われれば、そりゃあ、驚くし、女性は嫌な気持ちになるだろう。


 わたしだって、「男性は子供を産ませる機械」と言われれば、あはは、まあ、そんなところもある、と思いながらも、ちょっとは引っかかる。


 まあ、男は無責任だから――と一緒くたにするのは卑怯か。少なくともわたしは無責任だから、「ちょっとは引っかかる」くらいで済むけれども(何せ、自分の腹の中にできるわけじゃないから)、女性にとってはそうはいかない。
「女性は子供を産む機械」と言われるのは、かなり嫌なものなのだろう。


 しかし、この件について、わたしは割に柳沢厚労相に同情している。


 問題の発言は、松江市で行われた自民党県議の後援会の集会で出たそうだ。
 記録を残すような種類の講演ではなさそうだし、発言の前後の文脈はわからない。


 ただ、問題発言のくだりは、人口推計の話をしているときに飛び出したという。これがしくじりの原因であるらしい。


 統計というのは、人間性だとか、人権だとかとは全然別の次元で行うもので、人間をあくまで数として扱う。
 二宮金次郎のような立派な人も、ここでのたくっているわたしのような馬鹿も、統計としては、どちらもただの「1」に過ぎない。
「二宮さんは偉い人だから10人、あ、イナモトさんね。あんたはダメ人間だから0.3人とカウント」なんてことはできないのだ。


 数字っていうのは無機質なものだから、それで、柳沢氏は、「機械、装置」というたとえを連想してしまったんじゃないか。


 もっと好意的に考えてあげれば、「統計ってのは非情だよなあ。人を人扱いしないんだから」という認識が柳沢氏の頭のどこかにあって、つい、「機械、装置」と言ってしまった、とも想像できる。
 もしそうだとしたら、案外、心優しい人ですらあるかもしれない。


 いやね、あくまで憶測だから、実際のところはどうだか知らないけど。


 そんなこんなと、いろいろあったとしても、「産む機械」という一言だけ抜き出せば、そりゃあ、怒る人、悲しくなる人、いろいろ出てくるだろう。子供を産む産まないっていうのは、統計では数字の問題でも、個人にとっては切実な問題だから。


 言葉だけが一人歩き、と書いたのはそういう意味である。