悪魔の広告

 最近の電車は、ドアの上のところに液晶モニターのついているものが多い。


 次の駅名や、各駅までの所要時間、運行情報などのほか、広告、ニュース、天気予報、はては星占いまで表示されて、わたしの今日のラッキーカラーがピンクであることを頼みもしないのに教えてくれるのである。


 まあ、便利といえば便利なのだが、満員電車に揺られながら液晶モニターを見ていると、餌の代わりに情報を食わされている養鶏場の鶏のような心持ちになってくる。


 テレビで見たことしかないが、養鶏場ってのは、すごい。
 鶏がほとんど身動きできないくらいの小さな籠を並べる。鶏を入れる。鶏は流れてくる餌をついばんでは卵をぽこぽこ産む。その卵をベルトコンベアで運んで、集める。


 ひとつの籠に鶏を二羽入れることもあるそうで、そのココロは二羽並べると競って餌を食うからだとか。企業も、机ひとつに社員をふたり置いたらどうだろう。


 まあ、鶏には憲法基本的人権が保障されていないからいいわけであるが。


 いや、養鶏場に文句をつけているわけではない。
 わたしはブリジット・バルドーではないし、病人でなくても卵を好きなだけ食べられるのは結構なことだと思っている。卵が安い値段でシモジモの手に入るのは、ああいう養鶏場の仕組みがあるからだろう。


 一方で、ああいうふうに狭いところに鶏をぎっしり入れておくと、鳥インフルエンザじゃなくとも、病気がバーッと感染する、なんてことがいかにもありそうだ。


 そこからの連想で、満員電車の液晶モニター。あれに、非常によからぬ広告を流すとどうなるのか。
 見た人の妄想を掻き立てるような広告。満員電車に揺られながら、もう、妄想が妄想を呼ぶような広告。その妄想を人に語りたくてしょうがなくなり、聞いた人も妄想を掻き立てられてしまうような広告。


 鳥インフルエンザのように、妄想がバッと世の中に広まるのだろうか。


 面白い。やってみたい。


 しかし、どんな広告がそんな妄想を呼ぶんだか、さっぱり、思いつかないところに、わたしの限界がある。
 限界が近くて、困る。