ところが、この二枚目意識が粉々に打ち砕かれるときがあるのだ。
コケたときである。
先日、雨が降っているなか、住宅街を歩いていた。もちろん、何となく二枚目としてである。
道のへりに、排水路によく載っている赤錆びた鉄板が、斜めになっていた。雨に濡れていたせいもあったのだろう、足をかけた途端、ツルリと滑った。
「あや?!」
半回転して、手をついた。
運の悪いことに、十人ほどの人がこっちに向かって歩いてくるところだった。
恥ずかしい。
慌てて立ち上がった。
二枚目の意識がまだ残っているものだから、落ちついて膝の泥を払うふりをしたが、一体、こういうとき、どういうそぶりをすればいいのだろう。
結構、長いこと生きているのだが、いまだにわからない。
二の線の維持はコケた時点でもう無理だ。しかし、とっさに三の線に切り替えられるかというと、まあ、それも難しい。
「ウワァットット。転んじまったい、チキショウめい!」なんて、とっさにバカ陽気に言えるものではないのだ。
たとえ言えたとしても、「黙殺」という寒ーい刑罰が待っている危険性がある。
歩いてくる人達からは、別に笑われたわけではない(と思う。顔は見なかった)。
しかし、それはそれで「内心、こやつら笑っているのではないか」とか、「カッコ悪いふうになったことを同情されているのではないか」とか、いろいろ忖度して、勝手に恥ずかしい思いを強めてしまう。
わざとゆっくり歩いて、すれ違ってから、早足で逃げた。
角を曲がって、またコケた。
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「今日の嘘八百」
嘘二百七十九 スパム・メールは、「テクノロジーが進めば世界がよくなるわけではない」ということを、人々に確認させるために存在している。