ドリフターズの不思議

 ちょっと不思議に思うのだが、彼らの笑いのスタイルというのは、どこから来たのだろうか。


 彼らは元々、コミックバンドとして出発した。
 兄貴分にはクレージー・キャッツがいる。志村けんを除いて、メンバーの名付け親は、クレージー・キャッツハナ肇である。


 世代的に、わたしにはクレージー・キャッツの同時代体験がない。
 だから、あくまで後づけの知識からなのだけれども、クレージー・キャッツドリフターズにとって、人間関係の点で兄貴分ではあっても(同じプロダクションの所属である)、笑いの質はかなり違うだろう。


 クレージー・キャッツは(あるいはバラ売りしたときの各メンバーも)、彼らの上に立つディレクターなり映画監督なりに“指導”されて演技するというふうだ。ハナ肇を除けば、泥くささやアクの強さを感じさせるメンバーもいない。


 一方、ドリフターズは、いかりや長介の独裁だったという。ディレクターや放送作家も、彼には逆らえなかったようだ。


 特段、師匠筋があるわけでもなく、原型になるようなグループも思い浮かばない。東京のアチャラカ(わたしには何となくのイメージしかないが)や、大阪の新喜劇も、部分部分に似たところはあっても、ドリフターズが直接それらを受け継いだふうには思えない。


 あえて言えば、コミック・バンドの舞台上の動きだけを取り出して、コントの場に移し替えた。メンバーのグループ内での役割と行動パターンを明確に決めた。そこに、軽演劇やバラエティ番組のコントなど、いろいろなソースから笑いのパターンを抜き取って構成し直した、ということかと思うが、どうだろう。


 自力で笑いの手法を編み出して、あそこまで人気を獲得したのだとしたら、大したものだと思う。特にいかりや長介は。
 ま、やっぱり、あんまり好きではないけれども。