あるいは、日本画の墨絵と、西洋の油絵で考えてみてもよい。
墨絵は即興、出たとこ勝負の度が強い。
バッ。ヒュッ、ヒュッ。チョン、チョン、チョン、で絵が成り立ってしまったりする。そうして、筆の運びの勢いで人を「ンン〜〜」なんてふうに唸らせる。
キャンバスを埋め尽くすのに時間がかかる油絵より、あっという間に終わる分、便利な気もする。
確かに、一枚の絵を描いている時間だけ取り出せばそうだ。
しかし、「バッ。ヒュッ、ヒュッ。チョン、チョン、チョン」を成り立たせるには、基礎テクニックの習得に大変時間がかかるわけであり、そのうえ、瞬発的に才気を放てる力と、集中力が必要だ。
基礎テクニックを身に着けて、さあ!、と取りかかってみたら、「や。おれには瞬発力がなかった」と気づくこともないとはいえず、その場合、それまでに費やした長い時間は返ってこない。
しかも、失敗するリスクも高い。
筆に墨を含ませ、目をつぶって、呼吸を整える。己の内部で、次第に何かが高まってくる。
くわっと目を開くや、気合い一閃。ヤッ!
「あや?!」
なんてこともあるわけだ。
油絵のように念入りに塗りつぶしていくのと、どっちがいいかというと、わからない。
いかりや長介は、明らかに油絵派である。
自伝には確か、ドリフターズのメンバーはどれも芸人としては実力不足だ、というようなことを描いていたと思う。
ネタをじっくり考え、やり直し、稽古をやたらと繰り返したのは、生放送に備えるだけでなく、メンバーの力量不足を補う意味もあったのだと思う。
その証拠に、ドリフターズが事実上解散状態になってから、かつての華々しい人気を維持できたメンバーはいない(役者としてのいかりや長介だけがちょっと別かも)。
そう考えると、いかりや長介という人は、プロ意識が高いというだけでなく、物事がよく見え、責任感が強く、そして案外、小心者だったのではないか、と思う。
最後に、再び、高田文夫の話から。
その後彼(稲本註:志村けん)はいろいろ葛藤するんですけど、最近はスタッフに言わせると「二十年前の長兵衛そっくり」。みんなを集めて、ネタ考えてるって。恐ろしいですよね、二十年の付き合いのうちに、いちばん否定してた人に似てきちゃうんだものね。
(同上)
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「今日の嘘八百」
嘘二百七十五 本当は仲本工事が黒幕だったという説がある。