ワン

 ワン、といっても、別にいきなり犬と化したわけではない。


 SMAPに、ナンバー・ワンよりオンリー・ワンだったか、そんなような歌詞の歌があった。


 ナンバー・ワンでもオンリー・ワンでもかまわないが、どうしてそう“ワン”を背負いたがるのだろうかと思う。


 養老孟司の「バカ」シリーズ(まるでハナ肇だな)のどの本だったか、広告で、こんな抜き書きを読んだ覚えがある。
“若い人には、あなたは特別な存在なんかじゃなくて、ただの人だと言ってやったほうが、楽になる”(表現は多少違ったかもしれない)。


 原文は読んでいない。抜き書きを読んだだけの横着な日本の私だけれども、確かになあ、と思った。


 たいがいの人は、まあ、たいがい、ただの人だ。
 そりゃあ、人ごとにいろいろと違う部分はある。得意なことも、不得意なことも、性格の偏りも、置かれた環境の違いも、物の感じ方の違いもある。
 顔がそれぞれ違うようなものだ。これは、昔からそうであろう。


 それが、いつのまにやら、ひとりひとりが特別な存在であるとか、特別な存在を目指すことは素晴らしい、という信仰になってしまった。ナンダロネー、と思うのだ。


 ――などと書いておきながら、わたしにも、特別な存在になれたらイイナー、という、別に根拠のない、いささか無茶な欲がある。
 そうして、そういう欲を捨てるのは、ちょっと嫌な気もするのだ。


 わたしの世代は、今のガキの人々ほど、個性、個性という教育を受けてきたわけでもない。
 少なくともわたしがガキの人々だった頃は、「夢をあきらめるな」とか、「頑張ればいつか夢はかなう」といった、無責任なセリフや歌もなかったと思う。


 それでもなぜか持ってる、“ワン”への欲。どうしてこんなもの、持つようになったのだろうか。わたしはやっぱり、犬なのか。


 それとも、長嶋茂雄都はるみが悪いのか。


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「今日の嘘八百」


嘘二百十五 ただ顔つきをころころ変えるばかりの、廃人二十面相という人物がいるそうだ。