オリンピックについての建設的な提案

 例によって、アホなことを考えた。


 オリンピックは国別対抗の大運動会だが、あれを企業対抗の大運動会としたらどうなるのだろうか。


 サッカーのクラブチームと代表について考えていたのが、きっかけだ。


 代表というのは国の代表であるからして、選手も応援するほうもナショナリズムに傾きやすい。
 一方、少なくともヨーロッパのビッグクラブは高額のお金をやりとりして選手を売り買いする。資本主義的だ。


 トップレベルのサッカーでは、選手も、応援する側も、ナショナリズムを取るか、資本主義を取るかのキビしい選択が迫られるのだ――というのはかなり言い過ぎだが、まあ、そういった側面がないこともないわけでもないのかもしれない、のかなあ。


 で、だ。


 オリンピックの商業化、ということが、しばしば批判的な口調で語られる。極端なのになると、「オリンピックは金で買える」という意見もある。


 本当かどうかなぞ、わたしにはわからないが(今度、買ってみるか!)、あれはたぶん、コソコソやっているように勘ぐられるからいかんのではないか、と思うのだ。


 いっそ、ジャック・ゲロ会長、じゃなかったジャック・ロゲ会長も、「えー、次のオリンピックは売ります」と宣言したら、すっきりするのではないか。


 しかし、国なり都市なりがお金で買うとなれば、まあ、例によって役人の収支計算というの甘々だから、後で税金方面で国民、市民が迷惑するだろう。


 ならばいっそ、企業が買えばいいと思うのである。企業なら、損得勘定についてはうるさいだろうし、もし、真っ赤っかになっても、株価が下がるとか、倒産する、で済む(従業員のことは知らんよ。資本主義とはそういうものだ)。


 買うといえば、わたしは以前、「北方領土はロシアから西武が買えばよい」と主張していたのだが、一顧だにされなかった。
 そのうち、西武が株の問題で迷走し、今は買うだけの実力はないようだ。