ある見識

 古今亭志ん朝がマクラで、父親志ん生のこんな話をしている。


 例えば、羽田あたりでね、(飛行機が)だーっと飛び立っていく、なんていうのを見ると、よくあんなものが飛ぶなあと思いますよ。
 だから、うちの親父なんてのはもう、エー、決してあの飛行機というものは――「あれは、飛んでるのは、何か人間が錯覚してんだ」と、そう言ってました(場内爆笑)。「紙で折った飛行機飛ばして、すーっと落っこちるのが、鉄の塊、おめえ、飛ぶわきゃねえだろ」。そう言われてみると、そんなような気がしないでもないです。ねえ。


「飛んでるのは、何か人間が錯覚してんだ」。志ん生というのはつくづく凄い人である。
 この後がいい。


 空を飛ぶというのはあれは鳥の領域なんだ、と。鳥が飛ぶんだ、と。人間は地べた歩いてりゃいいのに、領域をおかすということは鳥に失礼だからよくない、なんてえことをね、これも親父が言ってた言葉なんですけど、妙なことを言いますな。
(「蔵前駕籠」、「落語名人会20 古今亭志ん朝」所収、SONY RECORDS、ASIN:B00005G6T4


 まあ、だからといって、飛行機なくせ、などと言う気はない。
 そんなことを言い出したら、海は魚の領域で、魚に失礼だから舟もなくせ、なんてことにもなる。


 しかし、「自然との調和」だの「共生」だの「畏敬の念」だのと抽象的なことを言い立てるより、こんな言葉のほうがストンと胸に落ちる。
 これは、案外、大切なことだと思う。


 ま、失礼は承知で、魚にはほんのちょっとお許しをいただこうか。こんな小話がある。


(良家の母娘の上品な口調で)
「お母さま、アメリカはまだかしら」
「黙って泳ぎなさい」


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今日の嘘八百


嘘六十一 反グローバリズム運動に参加するため、格安チケットでフランスに飛んだ。