煙草を嫌うこと

 ヘビースモーカーだった頃は、「そんなに煙草のにおいが気になるなら、自分も煙草を吸やあいいじゃん。気にならなくなるぜい」と考えていた。
 いや、全く自分勝手な言い草なのはわかっていた。


 しかし、以前に煙草を吸っていてよかったと思うことがひとつだけあって、それは人の煙草のにおいがあまり気にならないことだ。
 鼻が慣れたのか、つぶれたのか、どちらかだろう。


 それでも、長い間喫煙に使われている場所に行くと、においが鼻につくことはある。たぶん、煙草のにおいが壁、床、天井、調度品にしみこんでいるのだろう。


 煙草嫌いの人はこんなにおいを始終、敏感にかいでいるのだな、そりゃ、かなわんだろう、とは思う。


 しかし、一方で、あまり敏感なのも不便だな、と思う。


 わたしなぞ典型的だが、日本のような“清潔”で菌の少ない環境で暮らしていると、ほんのちょっと強い菌が登場しただけで、あっという間にやられてしまう。
 あるいは、室温調整が進んでいるので、寒暖の変化にも弱い。


 同じことが、煙草のにおいにも言えるんじゃないか。
 多少は慣れているくらいのほうが楽に暮らしていけるように思う。


 ガンジーにこんな言葉がある。


避寒をしたり避暑をしたりする人は、漸次寒暑に対する抵抗力を失って、寒暑に対してそれだけ弱い人になるであろう。すなわち苦しみを避けることによって、苦しみを迎える結果を得るであろう。


 ガンジーが言うと、さすがに説得力がある。


 受動的喫煙による健康被害については、まあ、そりゃ困るよね、と言うほかない。


 しかし、日本でも公共の場での禁煙はかなり進んでいる。受動的喫煙による健康被害の点では、結構、いい線まで来ているんじゃないか。
 家庭内の問題は家庭で解決してもらうしかないので、何とも言いようがない。


 嫌煙も、ヒステリックな形になると、わたしは引いてしまう。
 ま、煙草問題に限らず、ヒステリックな人が苦手なのだけれども。


 志ん生でも聞けば、楽な気分で暮らせるようになっていいよ、と思うのだが、たぶん、ヒステリックな人は志ん生の過激なのんびり思想を理解できないだろうなあ。


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「今日の嘘八百」


嘘六十 私の臓器提供を受けた人は、生きるツラさを身にしみて味わうであろう。