人となり

 yagianが小学校から高校までの作文をブログに載せている(id:yagian:20060129、id:yagian:20060130)。面白い。


 yagianとは大学の同窓で、このところは何年かに一度しか顔を合わせない。しかし、文章を読んでいるし、コメントを書いたりもするから、会っていないという感じがしない。


 彼の小学校時代の作文を読むと、人となりは今とあまり変わらないなあ、と思う。


 こんな書き方をすると、まるで小学校以来、成長していないみたいだけど、そうではない。


 何かに対する考え方が変わったり、新しいことに興味がわいたり、気遣いすべきことを知ったり、陰影がついたり、スケベになったり、あえて書かない判断を学んだり、チャック・ベリーのダック・ウォークを覚えたり、「お世話になっております」が平気で言えるようになったり、ある感情を知ったり、文章の技術がついたり、戦術的に文章を書くようになったり、はするだろう。
 そういうことを成長と呼ぶなら、まあ、成長しているはずだ(と思いたい)。


 しかし、物事に対する構え方というか、反応の仕方、癖のようなものは、小学校の頃からあまり変わらないな、と思う。


 彼の作文で言えば、理屈っぽい。
 対象から距離を置いて、冷静でいるように見えることが多いのだけれども、突然、異様に攻撃的になったり、ハイになったりすることがある(そんなときは、ハタで見ていて、驚く)。


 安易に人の意見に迎合しないとか、全体の“空気”に簡単にのっからないところは、彼の子供の頃からの美質かもしれない――と思っていたら、中学・高校の頃の作文には迎合して見えるところがあった。


 いやあ、やっぱ、いろいろ紆余曲折あるもんですねえ。


 人となりがあまり変わらない、といっても、彼が特にそうなのか、もっと一般的なことなのかはわからない。


 自分のガキの頃の作文はどうだったんだろう。
 なんか、もの凄くテキトーにお茶を濁している気がする(今と変わらない。面目ない)。


 実家に昔の作文、あるのかな。さすがにそんな紙くず、とうに捨てられている気がするが。


 あと、今の生身のわたしを知っている人には、衝撃的かもしれない事実がある。


 中学時代、デブだった。


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「今日の嘘八百」


嘘四十三 みんな昭和こいる師匠になりたかった!