色が消えた

 yagianが少し前のブログに「現代日本の大衆文化の大きな潮流は『オタク』と『ヨサコイ』に代表されると思う」と書いていた(id:yagian:20131203:1386014176)。

「オタク」は、かつては大人へ成熟するなかで関心を失うべきもの、とされていたモノやコトを積極的に評価するという側面があり、high cultureの洗練に対するantithesisとなっている。
かつては「ヤンキー」と呼ばれていた大衆文化の潮流を、私は「ヨサコイ」と呼んでいる。現代の「ヨサコイ」の代表としては、「ヨサコイ祭」やExileを想像していただければよい。

 おそらく現代のマス芸能方面で「オタク」を代表するのがAKB48赤尾敏フォーティーエイトの略。ウソ)であり、「ヨサコイ」を代表するのがExileなのだろう。
 1970年代から1980年代にまでさかのぼれば、オタク芸能にはキャンディーズなどのアイドルがおり、ヨサコイ芸能にはキャロルやクールスといったヤンキー系ロックンローラーがいた。
 そして、その頃の歌謡のメインストリームのひとつであり、現代ではほとんど消えてしまったものに、色系がある。有楽町やら銀座やら赤坂あたりで大人の恋を繰り広げるムード歌謡の人々である。折れたタバコの吸い殻やら噛まれた小指やら夜霧やらブルーライトやらが入り乱れて肩を抱き合い、さまよい歩く基本的には夜の大人の物語である。
 あれらはどこから来て、どこへ消えたのだろうか。
 色というと「粋」という言葉が思い浮かぶが、あの色系の夜の大人の人々が粋だったかどうかと考えると、少々怪しい。粋と色気には切り離せないが、粋の色気というのはプロフェッショナルの女性、早く言えば遊里あるいはそれに類する場所の女性らとの色恋、遊戯から来ているんだろうとおれは思う。あくまで直感だが、そうした男のための「買える」場所が戦後、消え、代替物としてクラブ、バーを中心とする夜の街が流行りだした頃、登場したのが色系の歌謡、すなわちムード歌謡だったのではないか。乱暴に言うと、簡単には買えなくなって、その代償として遊戯的なムードだけが独立したのが色系、と言えないだろうか。
 クラブ(昔の意味での)、バーは今でもあるが、どうもムーディな色恋とは離れてしまい、大人の恋は「不倫」という味わいに乏しく何やら説教臭い字面の言葉で語られるようになり、プロフェッショナルの世界は風俗という直接的な金銭とサービスの交換の場所となり、どうも色というもの自体が随分うっすらとなってしまったように思う。色は不倫とエロに空中分解してしまった、とまで言うと言い過ぎであろうか。
 そもそも色気はまだ残っているがセクシー、コケティッシュという意味に近づき、昔からの色という感覚自体が消えかかっているようにも思う。じゃあ、色って何なのだ、と聞かれても言葉でうまく説明できないのだが。