自分のことは棚に上げて、というか、自分から棚の上によじ登らねばならぬのだが、オジサン、オバサンというのは面白いなあ、と思う。
もちろん、ワカゾーにだって面白いやつはいる。しかし、その面白さはオジサン、オバサンの面白さとはだいぶ違うように思う。
面白いワカゾーはしばしば自分が面白いことをしていると知っている。自覚しないで面白いワカゾーもいるけれども、そういうやつは個人として面白い。いわゆる、天然、というのもここに含まれる。
一方、オジサン、オバサンは、自分が面白いことをしていると気づいていないことが多い。逆に自ら意図して面白いことをしようとすると、滑りまくる。
その滑り方がまた面白いのだが、本人はそのことにも気づいていない。
いわば、存在自体が面白いのだ。個人として、というより、普遍的に面白い。
天然といえば天然だが、あまりに数が多いので、そう呼ぶことに躊躇する。
ここまでのところ、わかるだろうか。わたしは、何だかわからなくなってきました。
ヘイ、マザー(ままよ)、実例で行こう。
先日、電車に乗ると、目の前の座席に、ニューヨーク・ヤンキースのピンストライプの帽子をかぶったオジサンが座っていた。前のところに、NとYを組み合わせたマークがついている。
わたしの知る限り、ヤンキースの選手達は黒にNYのついた帽子をかぶる。ピンストライプの帽子をかぶるところを見たことはない。
オジサンがかぶっていたのは、たぶん、ヤンキースのピンストライプのユニフォームから来ているデザインなのだと思う。
ヤンキースのピンストライプの帽子をかぶったオジサンは、しかし、ただのタイガース・ファンにしか見えなかった。
オジサンも、帽子を買うときはそれなりに考えたろう。
ヤンキースを心から愛する人なのかもしれないし、ニューヨークを意味するNYを見て、セントラルパークやタイムズスクエアを思い浮かべながら、ブロードウェイな気分で買ったのかもしれない。
あるいは、ヤンキー・スタジアムからの中継の、「Wow、ムァツウィ〜(マツイ〜)」という音声が頭に響いたかもしれない。
しかし、ハタから見れば、オジサンはただのタイガース・ファンなのである。
たとえ別のデザインの帽子をかぶったところで、「これから馬券を買いに行く人」にしか見えないのである。
そういうところが、わたしの言うオジサンの「存在自体の面白さ」だ。わかるだろうか。
ここでちょっと一息。