昨日の続き。
ニュースは、熱望より不安を煽って売ることが多いようだ。
「ニュースは売り物なのか?」と思う人もいるかもしれないが、100%とはいわないまでも、売り物だ。
正確には、民放の場合、ニュースを見る視聴者を広告主に売るのだけれども。
新聞や雑誌は直接の販売とともに、広告主に読者を売ってもいる。
なんだか、人を売る、売らない、というと奴隷みたいだけれども、まあ、今の世の中、そういう形でお金が動き、サービスが可能になり、なかなかの繁栄をしているのだ。仕方がない。
不安なニュースは売れる。
例えば、今なら北朝鮮の核開発が売れるニュースだろう。あるいは、「近くに潜んでいるかもしれない性犯罪者」や、何かの汚染のニュースも売れる。
以前には、株価の下落のニュースが売れた時期もあったし、金融不安のニュースが売れた時期もあった。
ニュースの公正さ、というのは、とてもわたしの手に負えるシロモノではない。
しかし、先の読みにくいニュースについて、ニュースの制作者に不安を強調するバイアスがかかるのは理解できる。
読者なり、視聴者なりの熱望を利用するニュースというのは、割と少ない。
代表的なのはスポーツ、例えば、プロ野球のペナントレースやサッカー日本代表のワールドカップ予選などだ(男性週刊誌のヌードも、熱望につけこむ。時にはニュースの側面もあるかもしれない*1)。
一方で、スポーツ・ニュースを、不安を煽って売る場合もある。
サッカー日本代表のニュースでは、マスコミがよく不安を煽る。今回なら、ジーコの放任主義とか、選手間の連携とか、小野の骨折とかがそうだった。相手チームについての情報というのも、しばしば不安を煽る。
熱望(ワールドカップ出場権を得たい)と不安(ワールドカップに出場できないかもしれない)の両方を利用できる、という点で、サッカー日本代表関連の話題が売れるのはよくわかる。
サッカーについて言えば、クラブサッカーでも、降格という、不安を煽る要素がある。売れるポイントだ。
特にヨーロッパのクラブサッカーは、弱小クラブには降格の不安が大きいし、強いクラブであっても、チャンピオンズリーグ(もう少し弱いところならUEFA杯)の出場権を逃すかもしれない、という不安がある。
チームの不調とその原因がニュースとして売れるのだ。
ここまで書いてきて、ニュースだけの話じゃないと思えてきた。中継を含めた、試合そのものも、熱望と不安が売り上げに影響する。
特に、もう後がないという不安に襲われると、ファンはいても立ってもいられなくなる。
サッカーで、ファンは降格や出場権についての不安を感じると試合を見るようになるだろう(不安が失望に変わったら、見なくなるだろうが)。上に行けそうでも見るし、下に落ちそうでも見る。よくできた仕組みだと思う。
いわば、熱望はニンジン、不安はムチだ。
プロ野球では、不安の要素はそれほど大きくない。降格はないから、いくら成績が悪くたって、次のシーズンはある(経営難の問題は置いておいて)。
優勝というニンジンはあっても、ムチはない。
わたしは今、野球にあまり興味がないせいか、プロ野球の勝った負けたがコップの中の嵐に思える。
パ・リーグが昨シーズンからプレーオフを導入して、見ていて、なかなか面白かった。プレーオフの存在が熱望と不安を強めるかどうかについては、もうちょっと様子を見たい。