私は、自分ではどちらかというと民族主義的なところが少ないほうだと思う。しかし、それでもどこかに「負けてたまるか、ニッポン男児」という意識を持っている。
そうして、文明開化以来の欧米コンプレックスを、苦々しく感じている。
日本には、外来語や欧米風の物言いを、安易にカッコいいと捉える人が多すぎると思うのだ。
まあ、私も普段は、「クライアントとのタフなネゴシエーションを終え、おれはシガレットをくわえた。1933年フランス製のライター『ピエール・サン・トワ・マミー』で火をつけ、深く吸い込んだ。マリーナで静かにサンセットを眺めながら、今夜はどのボインなチャンネエのところへ行こうかと考えるのであった。ん〜、ピロシキ」などという日常を送っている。
それでも、時折、「誰だ、勝手にこんな欧米かっちブー感覚を、おれ様にすり込みやがったのは!」と怒りに駆られるときがある。
何も戦時中のように、英語を敵性言語として、ストライクを「よし」、ボールを「だめ」に言い換えろ、と言っているわけではない。
が、しかし、外来語や欧米風の物言いを、元の言語でのニュアンスを知らないままに、安易にカッコいいとか、お洒落と感じすぎじゃあないか、と思うのだ。
早い話が、だ。たとえば、「ウォルト・ディズニー」。あの漫画家の名前の響きが、アメリカ中西部に住むWASPにとっては「山田田吾作」だったとしたら、どうなのか。
「The Walt Disney Company」は、「山田田吾作株式会社」とか、そういう感覚かもしれないではないか。
そうすると、ディズニーランドはこういうことになる。
山田ランド
ランドも外来語なので、山田遊園地にしてもいいが、ここではあえてランドのままにしておく。そっちのほうが間抜けだ、と、私の言語感覚が命じるからだ。
ディズニーシーはこうだ。
山田海
「日曜日は、彼女との初めてのデート。山田海に行くことになっている」と、漁師の息子が舟で外海へと漕ぎ出すような文を、日記に書かなければいけなくなるのだ。
ミッキー・マウスだって、もしかしたら、
鼠の三ちゃん
とか、そういうふうにWASPは感じているかもしれない。
ドナルド・ダックが実は、
アヒル太郎
だという可能性だって、否定できない。
そこんとこ、どうよ!? と、私は虚空に向かって、問いかける。しかし、答はどこにもないのであった。
付記:これを書いた後で、何か感ずるところがあり、「山田ランド」を検索したら、2001年12月1日に同じことを思いついた方がいらっしゃった。
自分では、気に入ったネタだったのだが、先を越され(しかも3年以上前に)、悔しい。しかし、もちろん、先に思いついて書いた人の勝ちだ。