2010-01-01から1年間の記事一覧

浮いた話

この話は何度も書いているんだが、高校時代、空中に浮かんだことがある。 夜中に寝ていて、ふと目が覚めた。金縛りのように動けず、そのうち、体が仰向けのままふわーっと浮き上がった。非常に焦った。1mくらい浮いたところで、体が水平移動を始めた。天井が…

「頑張って」と"Good luck."

以前から「頑張って(ください)」と人に言うことにひっかかりがあって、口にしないでいる。そもそも頑張ってないおれがそんなこと言っていいのか?、ということは置いといても、何やらすっきりしないのだ。 ひとつには、大きなお世話であろう、ということが…

超自然現象と科学と私

おれの母親は割に霊感のある人で、何度か超自然現象に出くわしている。 一番よく覚えているのはおれが幼稚園か小学校低学年のときのことで、おれと一緒に庭にいた。突然、母親が立ち上がって、おれの兄に何か起きた気がする、と言い出した。それからまもなく…

日本語で思想を話し合う難しさ

日曜の夕方6時からはNHK教育の「ハーバード白熱教室」を見ている。ハーバード大学の政治哲学の人気教授マイケル・サンデル教授の講義を放送する番組だ。→ NHK ハーバード白熱教室 サンデル教授は具体例の用い方がうまく、話術がたくみで、学生達との掛け合い…

喧伝習性

人間にはどうも面白いこと、驚いたこと、腹立たしいこと、悲しいことを人に伝えずにいられないという喧伝習性があるようだ。アラ・タイヘン習性と呼んでもよい。 正しいかどうかではなく面白いかどうかで伝わるか伝わらないが決まるといういわゆるオモシロヘ…

なぜ西洋語をカタカナにしたのか

少し前に、森鴎外の文章は、文中にいきなりドイツ語やフランス語の原語がまじって、握り飯に食らいついたら石っころが入っていたような心持になる、というようなことを書いた。→ いきなり外国語 そのときに引用した鴎外の「津下四郎左衛門」を再掲。 当時の…

少年少女へのポルノの規制について

おれは少年少女に対するポルノの規制に賛成だ。 青少年の健全育成のゆえではない。ポルノを目にしないことが本当に健全育成につながるのか、おれにはわからない。 そうではなくて、おれは真に少年少女たちのことを考えている。エロというのは、隠されている…

駄洒落排除運動

おれは煙草を吸わないので、皮肉や風刺ではないんだが、煙草を排斥するんなら一緒に駄洒落も排斥したらどうかと思う。煙草と駄洒落はよく似ている。 まず、口にする本人の楽しみだけでは済まず、まわりに迷惑をかけるところが同じだ。受動喫煙、受動駄洒落と…

人生を送りやすくするための5つの方法

「○○のための○(数)の方法」とか、「○○が○○である○(数)の理由」とか、「○○が○○する○(数)の秘密」とか、その手のタイトルをよくブログで見かける(本にもある)。 あれは、やはり、手っ取り早く情報を得られそうな感じが、インターネットの性質とマッチ…

漢文訓読調で語る

以前から漢文の訓読の調子に興味があって、あれを聞くと、日本で生まれ育った者は、内容が何であれ、ほとんど自動的に厳にして粛、大にして仰たる印象を受け取ってしまう。町の外れで友を見送ろうが、ジジイが湖に出て魚を釣ろうが、柳の川べりの亭で妓女が…

濃厚について

最近、といってもここ十年くらいのスパンの話かもしれないが、ラーメン屋で「濃厚」を売りにする店が増えた気がする。「濃厚」「コク」「こってり」「脂コテコテ」・・・・・・。 まあ、あくまでおれの好みの話なんだが、どうもこう、ギトギトしたふうを想像して、…

日本文化の称揚とコンプレックスについて

ではなぜことさらに「日本には他国と比べてもあらゆる面で優れた文化があり〜」などと書くのかというと、おれはコンプレックスの裏返しじゃないかと睨んでいる。 クロフネ以来、日本には海外、特に西洋から圧倒的にヤラレテイル感というのがあり、それがコン…

日本で生まれ育った人が日本を愛することについて

「愛国心」と言うと、いきなり目のツリあがる人がいる。そういう人は、たいがい目のツリあがった途端に耳から脳への情報経路が特定のものに限定されてしまうようだ。平たく言うと、「耳をふさぐ」というやつである。習い性となっていると簡単には直らないだ…

子を思う心

ある人のガレージで野良猫が子猫を生んだ。ダンボールとタオルを用意してあげて、親猫と子猫の様子をUSTで中継している(子猫たちの里親を探していらっしゃる。Twitter IDはmiccorina]→ USTの猫放送 (中継なので、もしかするとこれをご覧になっている頃には…

例によって「何様?」と問われれば「オレ様だ」と答えるほかないようなことを書くんだが、簡単に「みんな」とまとめてしまうやつがいる。 たとえば、例の「みんなの党」なんだが、あの「みんな」には日本共産党も幸福実現党も全国郵便局長会の人々も含むんだ…

体の部位と音楽と

では、音楽を体の部位と結びつけるとどうなるだろうか。 YMOは先に書いたように典型的な「頭」に来る音楽だろう。同じく典型的な例として、アルバム1枚きりしか知らないんだが、Radioheadの「OK Computer」が挙げられると思う。かつてのプログレの多くもそう…

頭の音楽、胸の音楽、腹の音楽

おれは1966年の生まれだが、同世代の人間と十代の頃の音楽の話をしても今イチ話が合わない。 たとえば、中学の頃、YMOにハマった人は多いらしく、今でも坂本龍一を崇拝している人もいる。その崇拝の度合いはちょっと驚くぐらいだ(大きなお世話か)。おれはY…

馬鹿による迷惑について

今日は馬鹿と迷惑の問題について書く。 京都は土地が平坦なせいか、自転車に乗っている人が多い。でもって、ワカゾーに多いのだが、携帯電話を操りながら自転車に乗る馬鹿にしばしば出くわす。 危ねえ。馬鹿じゃないか。ではなくて、馬鹿である。歩行速度の…

一人称を変える

少し前からこのブログでは一人称に「おれ」を使っている。それまでは「わたし」を使っていたのだが、少し感じを変えてみようと思った。正直なところ、まだちょっと慣れていなくて、自分で読み返しても違和感がある。まあしかし、もうしばらく続けてみようと…

漱石「こころ」を悲恋物語として考える

上記を書きながらふと思ったのだが、夏目漱石「こゝろ」を悲恋物語として捉えるとどうなるだろう。「先生」と「奥さん」にとっての障害は、「親友Kの死」ということになる。「先生」と「奥さん」の恋は一応成就するのだが、特に「先生」にはずっと重い影が落…

現代の悲恋物語について

一昨日、ひさびさに文楽を見てきて考えたのだが、現代を舞台にすると悲恋物語というのは結構書きにくくなっているのではないかと思う。いや、おれはどちらかというと愛だ恋だチューだという物語に関心がないほうなので、いささかリクツになってしまうんだが…

国立文楽劇場について

大阪の国立文楽劇場には初めて行った。 東京の国立劇場は皇居と最高裁判所に面していて、おれのような下賤のものには少々敷居の高い感じがする。最高裁判所の前を通るとき、なぜだかコソコソしてしまう。 一方の大阪の国立文楽劇場はラブホテル街に接してい…

国立文楽劇場で妹背山婦女庭訓を見る

大阪の国立文楽劇場で文楽の「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)を通しで見た。 有名な「妹山背山の段」は四人の太夫(義太夫を語る人)で語る。大御所の住大夫、綱大夫と、若手〜中堅くらいの文字久大夫、呂勢大夫。文字久大夫の堂々とした語り…

文字が読めないことについて

もうひとつ、書を見るとき、「何の字が書いてあるかわからない」という問題があるが、おれの経験からすると、すくなくとも「わからなくても楽しめる」ということはいえる。 たとえば、洋楽をきくとき、おれはたいてい何を言っているんだかわからない。それで…

現代風の文字の見方と昔の文字の見方

今日でも、もちろん、書を楽しむ人は大勢いるわけだが、日本の人口全体から見れば少数派だろう。ではなぜ書を楽しまない(楽しめない)人のほうが多いかというと、「何の字が書いてあるかわからない」「文字をパターン認識してしまう」という2つの理由が大き…

おれの書の楽しみかた

日本の美術はわりに好きで、気が向いたら見にいく。絵、陶器を見ることが多い。 書については、昔は「どうせおれには読めんし」とハナっから敬遠していた。しかし、楽しみかたを教わってから、ものによっては、よいなあと思えるようになってきた。 その楽し…

ラグビー日本代表は横綱土俵入りをやるべし

ラグビー日本代表は、試合前に全員で横綱土俵入りをやるといいんではなかろうか(いや、マジで)。神秘の国というか、えたいの知れないやつら、という印象を相手にあたえられると思うんだが。試合で強くないと、サマにならないけどね。▲

ハカ・バトルがコーフン的だ

すこし前に紹介したラグビーのニュージーランド代表(オールブラックス)とトンガ代表のハカ・バトル、何度見てもコーフン的でよい。 くりかえしになるが、ハカというのはもともとマオリ族の戦士が戦いの前におこなう踊りで、それをオールブラックスがとりい…

一人称を変えてみる

ブログでの一人称を「わたし」から「おれ」に変えてみることにした。▲

不器用者

ガキの時分からそうなのだが、やたらとモノを落とす。財布をなくす類の「いつのまにか」というのではなくて、今そのとき手に持っているものを落とす。不注意なのか筋力の調整機構がうまくいっていないのかわからないが、とにかく落とす。やたらと落とす。め…