2010-01-01から1年間の記事一覧

上品とは何か

言葉というのは必ずしも辞書的な定義によってばかり覚えるものではなく、しばしばさまざまな事例を体験しながら「これが○○ということだよ」と教わって会得していく。幼児が言葉を覚えるプロセスがわかりやすい例で、「右」を「箸を持つほうの手」なぞと教え…

電車の中で化粧する

若い女の子が電車の中で化粧することがよく非難される。みっともないとか、信じられないとか、パジャマのまま電車に乗って着替えるようなものだとか、同じ日本人として恥ずかしいとか、まあ、いろいろな意見がある。 信じられないと言う人は、自分はとてもや…

ダダ漏れはなぜダダ漏れなのか

最近、「ダダ漏れ」という言葉が気に入っている。個人情報が漏れまくること、あるいは講演会やシンポジウムなど閉鎖的な空間で行っているイベントの内容がTwitterやUstreamなどを通じてリアルタイムでネットに漏れることをいう。 気に入っているといったって…

メディアの習慣性

しばらく帰省していて、Twitterの類をほとんど見ないでいた。普段はちょっと時間ができるたびに覗かずにいられない感じでいるのだが、見ないでいるとそれはそれで気にならなくなるものである。 今はTwitterと、Lang-8という語学学習者向けのソーシャルメディ…

矛盾

矛盾というのは韓非子にある故事で、楚の男が「この盾を貫けるものはない」「この矛で貫けないものはない」と言って矛と盾を売っていたら、「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問い詰められて困ってしまった、という有名なお話である。ジョークみた…

陰謀論

陰謀論というのがあって、政治経済方面ではユダヤ人陰謀論というのが昔から根強いが、近頃では政治経済のヤバそうな感じも手伝ってか、中国人・朝鮮人陰謀論が伸張しているようである。 先日、あるサイトを見たら、○○人陰謀論について語った後で、「反論する…

鈴木春信がよい

先日、浮世絵の美人画について書くためにWikimedia Commonsをつらつら見ていて、鈴木春信の絵はいいなあ、と思った。 鈴木春信は江戸中期の絵師。錦絵、つまり木版画の多色刷りの普及にはこの人の力が大きかったそうだ。おれはそもそも浮世絵についてよく知…

ロシア社会主義の夢想の跡

昨日、ロシア構成主義の代表的作家であるグスタフ・クルーツィスの作品をつらつら見ていて、その力強い表現に感心する一方で、砕け散った夢の跡というような一種のもののあはれを覚えた。 ロシア構成主義というのは、その名のとおり、ロシアでいろいろなもの…

浮世絵美人

前にも何度か書いた覚えがあるんだが、浮世絵の美人画の顔がおれにはどれもほとんど同じに見える。 歌川国貞も、 安藤(歌川)広重も、 葛飾北斎も、 描いている場面、趣向は全然違うが、顔はとてもよく似ている。 美人画の極めつけはやはり喜多川歌麿で、 …

言語と意識の持ち方

Lang-8(ランゲート)という語学学習者向けのSNSに参加している。→ Lang-8 自分が学んでいる言語で日記を書くと、母語とする人が添削をしてくれる。コメント欄でもいろいろ話し合える、というサイトだ。 おれも日本語で書かれた文章を添削するんだが、いろい…

あちこちでチャーリーが噛んだ

このイギリスのビデオ、有名なのでご覧になったことがあるかもしれない。 兄のハリー君が弟のチャーリー君の口に指を入れてみたら、力いっぱい噛まれて痛いのなんの。しかし、怒ってぶったりするかと思えば、許してあげるハリー君の心の広さというか笑い顔が…

働くことと関係性と(2)〜グリーンのビラビラ問題

前回の続き。 前に書いたのは、仕事というのはお金を得るということが基本条件だけれども、どうもそれだけではないんではないか、ということだった。仕事を通じて人は他の人といろいろな形で関係を結ぶ。商品(モノやサービス)を通じて、お客さんとも関係を…

働くことと関係性と

どうも大げさなタイトルで申し訳ない。実際にはそう大した話ではない。 この頃時々、人とどういう関係を結ぶのか、ということについて抽象的に考えている。 おれがまだ凄まじい美青年だった大学生の頃、講義の一覧表に「人間関係論」という授業があって、何…

本意と一己の私

川本皓嗣「日本詩歌の伝統」の冒頭に、去来(芭蕉の弟子)が同門の風国を叱りつけた話が出てくる。 風国が、「頃日(このごろ)、山寺に晩鐘をきくに、曾て(かつて)さびしからず」というわけで、「晩鐘のさびしからぬ」むねの句を作った。これに対して去来…

防衛意識過剰

逆ギレを、英語では単純に"being defensive"と言うんだそうだ。神経過敏、防衛意識過剰ということなんだろう。なかなか本質をうがっているように思う。 家族友人恋人愛人関係だとまたちょっと別だが、日本では会話がお互いの譲り合いみたいなことになりやす…

寺は昔の寺ではない - The tera is not the tera used to be.

奈良の唐招提寺は特に絶景があるわけではないが、浮ついたところのない落ち着いた空気が境内に流れていて、おれは気に入っている。建物は木組みが太く、装飾が少なく、ある意味そっけない感じで、それがいかにも学問の場にふさわしく感じられる。 ……などと思…

正義の確認

多少ネタバレありですが。セント・オブ・ウーマン ?夢の香り? [DVD]出版社/メーカー: ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント発売日: 1999/07/23メディア: DVD クリック: 10回この商品を含むブログ (1件) を見る 1992年のアル・パチーノ主演の映画。 スト…

そしりについて

我ながら皮肉やそしりを書くことが多い。皮肉やそしりも読んで面白ければ結構なのだが、相手をやっつけることで己の存在を誇示したり、溜飲を下げたりというだけでは、十代の反抗期のガキと変わらない。ちと反省している。ヨヨと涙にかき暮れている。いっそ…

なぜ「は」と「が」があるのか

「は」と「が」の違いは日本語を母国語にしていると直感的にわかる。しかし、その使い分け方を論理的に説明しろといわれるとなかなかに難しい。世にはいろいろと説明があるようだが、微に入り細にいりというふうなものが多い。例えば、あるページでこういう…

日本の国語教育について

日本語を勉強している中国の学生とSNSでやりとりしていて、その学生が「日本人は意識の流れに従って文章を書くことが多い」という。「中国では円を描くように書くように教わって、違う書き方をすると怒られる」のだそうだ。 何のことだろうとしばらく考えた…

愛しの可朝師匠

嫌味と皮肉でちょっと気を悪くさせてしまったかもしれないので、お詫び代わりというわけではありませんが……。愛しの月亭可朝師匠のビデオ。まあ、人間、あれが嫌だこれが嫌だという話より、これが好きだあれが愛しいという話のほうがよいのかもしれませんね。…

もし人生幸朗先生ありせば

例によって「てめえ何様だ」と訊かれれば「おれ様だ」と言うほかないことを書くんだが、今日は夏至で、キャンドルナイトというものが行われるそうだ。夜の8時から10時まで電気を消して蝋燭つけてお話ししましょう、とかなんとか。それが「スロー」なんだそう…

英語がわからんことの功名

ザ・クラッシュの曲をあれこれ聞いていて、ああそういえばこの曲、前にクルマのCMで使っていたよなあ、と思い出した。 探してみると、このCMである。日産のX-TRAILの何年か前のCM。 おれはほとんどテレビを見ないのだが、このCMは覚えている。 曲名が"I Fough…

ディア・ドクター/笑う花

多少、ネタバレがありますが……。ディア・ドクター [DVD]出版社/メーカー: バンダイビジュアル発売日: 2010/01/08メディア: DVD購入: 5人 クリック: 106回この商品を含むブログ (180件) を見る 西川美和監督の三作目。前作「ゆれる」(傑作だ)の異様な後味の…

立派な人々とそうでもなかった人々と

司馬遼太郎の作品のうちでも「坂の上の雲」は特別な人気があるようだ。 白状すると、おれも二十代の頃にハマったことがある。「むぅ、旅順はまだ落ちんのか! 伊地知ィ! とっとと国へ帰れ!」などと、今考えると少々恥ずかしいが、夢中になって読んだものだ…

イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズ

昨日、YouTubeでイアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズのビデオを見ていたら、止まらなくなってしまった。 イアン・デューリーは70年代のパンクロック・ブームの頃に出てきたイギリスのオッサンである。まずはこのビデオをご覧いただきたい。 ブロックヘッ…

イヤミ手法再びザンス

一昨日、外来語を多用する文章に対するイヤミ手法を紹介したが、この手法、うさんくさい外来語をあぶり出すのに使えそうだ(イヤミとは、かの天才・赤塚不二夫のキャラクターざんす)。 例えば、「Win-Winの関係」という言葉がある。直訳すれば「勝利-勝利の…

頭、胸、腹で考える

引用した元の文章を読むと、知識をひけらかそうというふうには感じなかった。おそらく、上記の文を書かれた方は真摯に書かれたのだろう。では、なぜにイヤミ風に見えるかというと、言葉の出どころによるんじゃないかと思う。 最近、物の捉え方には、頭、胸、…

知らず知らずのイヤミ節

マーケティング方面の文章や、広告代理店の企画書を読むと、赤塚不二夫のイヤミが思い浮かぶことがある。 例えば、某所で拾った文章をのっけてみよう。 キャンペーンやインタラクティブなコンテンツをフックに、レレバンシーの低い少数の消費者にブランドを…

現象の解釈

さて、この不可思議な現象について、どのような解釈が考えられるだろうか。 最も多くありそうなのは、やはり夢を見ていた、というものだろう。一晩中目が覚めていたのだからおれには夢とは思えないのだが、しかしまあ、経験的にはそう解釈されることが多いだ…