おれの前に立つな

 おれはイライラしぃで、特に自分の前に誰かが立ちふさがるとイラッとくる。

 道で、だらだら歩いているやつが前に来るとイラッとする。それが二人、三人と横並びで立ちふさがるとイライラッとする。

 コンビニのレジ前で並び、金を払うやつがカバンからのんびり財布を取り出してスローモーな動作で金をひとつひとつ出しているのを見ると、「さっさとせい、財布は先に出しとけ」と内心ひとりごつ。スマホで決済アプリをメニューから立ち上げてあれこれ操作しているのを見ると、「先に立ち上げとかんかい、何のためのキャッシュレスサービスだ」と思う。

 その割には自分が支払う順番になると、財布から小銭をうまくつかめず、アタフタしたりする(おれは指先がひどく不器用なのだ)。後ろに並んでいる人に申し訳ない心持ちになる。

 どうしてこうも前を邪魔されるのが嫌なのか、自分でもよくわからない。

 ゴルゴ13は後ろに人が立つのを嫌うが、おれは前にくるのを嫌う。おれがゴルゴなら撃ち殺しているところだ。

イチョウの物語

 イチョウを見に、自転車で神宮外苑に行ってきた。

 手前に写っているイチョウはまだ完全に黄葉していなくて、緑と黄色が混じっている状態だ。奥の方に進むと黄葉しきっている木もあった。全てが黄色くなるにはもう一二週間かかるか。イチョウは秋の木という印象だったが、温暖化のせいか、すっかり12月の木になってしまった。

 絵画館を前にしたこの通りはイチョウの名所で、大勢の人が訪れていた。写真の奥の方ではイチョウ見物のためにクルマをシャットダウンして歩行者天国になっており、自転車でも通れないので、あきらめてすごすご帰ってきた。

 この写真は白金高輪で撮った。白金高輪にはイチョウ並木が続く美しい通りがある。

 ご覧の通り、まだ緑色のイチョウと黄葉したイチョウが並んでいる。日照時間なり温度なりが違っているとは思えないから、黄葉に関する個体のDNAが違うのだろう。

 桜のソメイヨシノは挿木で増える、つまりクローンで増える。ソメイヨシノがいっせいに咲き誇るのはDNAが同じだからである。生殖で増えるイチョウはDNAが個体によって違うから黄葉時期がずれてくる。

 これまでも何度か書いてきたが、イチョウには物語がある。

 イチョウ中生代に世界中で繁栄した古い種だが、やがて衰退し、11世紀ごろには中国の一部で自生するだけとなってしまった。しかし、葉の形の面白さや黄葉の見事さから中国の中で移植されるようになった。日本に伝わったのは13世紀頃らしい。ヨーロッパには日本経由で17世紀末に伝わり、18世紀にはヨーロッパ各地に観葉目的で移植されるようになった。今では世界中で見られる。

 美しさで、いわば芸の力で盛り返したわけで、植物の盛衰というのは面白いものだと思う。人間にたとえるなら、滅亡に瀕した人類が一度は小集団を残すのみとなったが、再び力を得て世界に乗り出していったというふうで、SFみたいでもある。

クリスマスと多神教

 街ではそろそろクリスマスの飾り付けが始まっている。

 まだ1ヶ月も先なのに気の早いことだと思うが、夜の街にクリスマスの華やかなイメージが合っていて、「気分」を楽しみたいということなのだろう。多くの日本人にとってクリスマスはあくまで「気分」である。

 おれは以前からキリスト教徒でない人間がクリスマスを祝うことに疑問を持っていて、信じてもいないものを祝うのはむしろ失礼なんじゃないかと思っていた。

 しかし、この頃では日本人の多くは多神教徒であって、クリスマスもイエスなりキリストなりという神様のひとりを祝うイベントなのだと考えるようになった。正月には神社で神様に挨拶し、クリスマスにはイエスなりキリストなりを祝い(もっとも気分を味わいたいだけの人も多いだろうが)、葬式や法事では仏様にお経を読む。お地蔵様にはぺこりと頭を下げ、八幡様やお稲荷さんに願い事をし、結婚式はカッコいいので教会であげる。とまあ、そんなふうなのだ。

 日本は昔からアニミズムの国で、あらゆるところに神様がいると考えてきた。中国経由でインドから入ってきた如来や菩薩、四天王なんかも多くの神様のなかに組み込まれた。キリストもそのひとりなのだろう。

 日本人は無宗教だと言われるけれども、そうではないと思う。日本人の多くは多神教なのだ。ただ、神様それぞれについて深く考えることはしない人が多いのだろう。キリスト教の神様が「この世に神はわししかおらんのだ」と主張していたとしても、そんなことは気にかけない。いろいろいる神様のひとりくらいにしか考えていない。そのときその場で目の前にいる神様を信じる。そういう人が多いのだろうと思う。教義より神様それぞれのイメージやイベントの気分が大事なのだろう。

おれはメリークリスマスなんて言わないけどね。

針の穴から世界を覗く

 ネット上のニュースやFacebookを見ると、MLB大谷翔平の話題がよく出てくる。サッカーのプレミアリーグのニュースでは、ブライトンの三苫リヴァプールの遠藤がよく取り上げられる。

 大谷翔平がこれまでの日本人選手とは段違いの活躍を見せているのは間違いない。盛んに取り上げられるのは当然だろう。全盛期のイチローが辛うじていくらか近い位置にあったろうか。

 一方で、遠藤はリヴァプールのなかで、残念ながら二戦級の選手である。体を張った守備をしているが目を見張る活躍とはいえず、ファーストタッチやパスは危なっかしい。主戦級の選手がなんらかの事情で出られないときや、相手が弱くて選手を休ませたいときに出ているという感じである。正直、ニュースで取り上げるほどではないと思っている。

 日本人選手の活躍ばかりを取り上げるのはどうなのだろう、と思う。野球もサッカーもチームスポーツだし、素晴らしい選手は世界中にいるし、素晴らしいプレーを繰り広げているのに。

 日本人選手だけを注目して見るのは紙に開けた針の穴から世界を覗いているようなものだと思う。目の前の紙を取り除けば、そこには広い世界が広がっているのに。もったいない。

 もっとも、針の穴から覗く世界には独特の見え方もある。その狭い視界を一生懸命に観察するのも、それはそれで楽しみなのかもしれないが。

信じ込むと物事の見え方は変わる

 少し前にアメリカのディープステートについて論じた本を読んだ。

 その本によると、アメリカにはディープステートと呼ばれる裏の政府があって、国際金融資本=ユダヤ系金融資本によって操られており、トランプはディープステートと戦っている偉大な大統領なのだそうだ。ディープステートはメディアも操っているので、報道されることはない。歴史をさかのぼるとケネディ大統領の暗殺も、リンカーン大統領の暗殺も、ソ連の成立も、ウクライナ戦争も、コロナ禍も、全て国際金融資本=ユダヤ系金融資本が黒幕だという。

 馬鹿馬鹿しい陰謀論で、紹介するほどの本でもないので書名などは書かない。

 しかし、アマゾンのレビュー欄を読むと異常に評価が高く、「よくぞ書いてくれた」「知らなかった」「目が覚めた」などと称賛する声が多い。こんな馬鹿馬鹿しい本に、とちょっとショックを受けた。

 こんなレビューがあった。

これらの事実に対して「陰謀論」とレッテルを貼るのは、無知なのか自分の常識が否定されるのが恐ろしいのか何か都合が悪くなるのか。

 ディープステートやら黒幕の存在やらを信じ込んでしまうと、馬鹿馬鹿しいと考える者は陰謀の一端にからんでいるのだ、と思い込んでしまうらしい。下手なもじりで申し訳ないが、信じる者は救われない。

 この手の陰謀論を簡単に信じ込んでしまう人が多いのはショックだし、不思議だ。単にうぶなのか。複雑な世の中を単純な図式で割り切ってくれるとすっきりするのか。それとも人が知らない秘密を自分が知ったことに快感を覚えるのか。影の何々、みたいな話にロマンを覚えるのだろうか。

 ボブ・ウッドワードの「恐怖の男」を読むと、トランプ政権の内情というか、トランプという人の出鱈目さは大変なものである。

 

 

 しかし、ディープステートなるものを信じ込んだ人がこの本を読むと、「ボブ・ウッドワードもディープステートに操られているのだ」と考えてしまうのかもしれない。

石油の帝国〜エクソンモービルという民間帝国

  スティーブ・コール著「石油の帝国 エクソンモービルアメリカのスーパーパワー」を読んだ。

 

 

 エクソンモービル(1999年にエクソンがモービルを実質的に買収し、エクソンモービルとなった)という強大な石油企業が1989年から2011年までに事故や石油産出国やアメリカの政治に対してどのように立ち回ったかを膨大な取材と事例で描き上げていく。時には石油流出事故に対応し、時にはゲリラとそれに対する弾圧に対処し、時には海賊と戦い、時には訴訟を争い、時には環境保護団体と戦い、時にはアメリカ政府の環境保護政策に立ち向かう。

 原題は“Private Empire - Exonmobil and American Power”だから訳すなら「民間帝国 - エクソンモービルアメリカの権力」といったところか。エクソンモービルは「帝国」として常に石油を求めて拡大を図る。その境界線で現地政府と対峙する。帝国内部には巨大な石油埋蔵量とマネーが蓄積される。

 アメリカ政府とは微妙な関係である。ロビイングを通じて有利な政策を引き出そうとするが、エクソンモービルにはエクソンモービルの思惑があり、アメリカ政府にはアメリカ政府の思惑がある。決してズブズブの関係ではない。ある意味、エクソンモービルにとってアメリカ政府も現地政府のひとつである。

 2003年にアメリカがイラクに攻め入ってイラク戦争が始まったとき、アメリカの真の狙いはイラクの石油だ、などという説をもっともらしく唱える人々がいた。この本を読むとそんな単純な話ではないことがわかる。エクソンモービルエクソンモービルであり、アメリカ政府はアメリカ政府であり、それぞれが当然ながら独立しており、何らかの政策をめぐって時に対立し、時に妥協する。

 世界は数多くのパワーが互いに引っ張り合いをして動いている複雑なネットワークだろう。単純化するとすっきり割り切れて気持ちよくなれるのかもしれないが、世の中の真の姿とは異なる。引っ張り合いをするパワーの中でも強大なもののひとつがエクソンモービルであり、そのありよう、動きようを複雑なままに描き出した本である。

「経済成長」の起源

 マーク・コヤマ、ジャレド・ルービン著「『経済成長』の起源」を読んだ。

 

 

 二部構成になっていて、第一部は経済成長をもたらす各種要因についてのさまざまな理論の紹介、第二部は各国の歴史に理論をあてはめてみる、という構成になっている。

 第一部であがっている要因は地理、制度、文化、人口、植民地の5つ。いろいろな学者の理論を紹介し、時に比較するかたちで、おれの頭では少しわかりにくかった。しかし、第二部で実地にそれらの理論をあてはめてくれるので、各種要因の働き具合がすとんと納得いった。よくできた構成だと思う。

 二十年ほど前にジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」がベストセラーになったことがあった。ある地域が発展する(あるいは衰退する)要因を地政学の観点から説明するもので、随分と評判になり、確かピュリッツァー賞も受賞したはずだ。

 しかし、読んでみておれは食い足りない感じがした。大部の著作の割には言っていることが少なくて、地理的条件に多くを帰するのは単純すぎやしないかと思った。地理的条件はもちろん、重要な要因だろうけれども、その他の要因間の絡み合いを軽視しているように思えたのだ。いわば、複雑な物事を単純に切ってみせて、人々に「わかりやすい」と受けたのではないか。「わかりやすい」からといって「正しい」わけではもちろんない。

 その点、「『経済成長』の起源」は経済成長をもたらす複数の要因と、その要因同士の絡み合いを捉えている。複雑なものを複雑なままに説明しようと努めていて、好感を持った。特に第二部でイギリスでなぜ産業革命が起きたのかの説明はとてもわかりやすく、なるほど、そうであったか、と納得した。

 出来事のつらなりや個人のヒロイックな姿とはまた別の、世界史の見方を教えてくれる本である。