立派な人々とそうでもなかった人々と

 司馬遼太郎の作品のうちでも「坂の上の雲」は特別な人気があるようだ。

 白状すると、おれも二十代の頃にハマったことがある。「むぅ、旅順はまだ落ちんのか! 伊地知ィ! とっとと国へ帰れ!」などと、今考えると少々恥ずかしいが、夢中になって読んだものだ。

 しかしまあ、冷静にとらえれば、いろいろと問題の多い作品のように思う。

 司馬遼太郎の当初の構想では、陸軍、海軍の秋山兄弟と、正岡子規の三者を追いかけようと考えていたようだが、先へ進むにつれ、正岡子規について書く筆から明らかに熱が失われていく。書き出してしまったからしょうがなく書いているというふうになっていく。おそらく、司馬遼太郎は戦ばなし(いくさばなし)以外にあんまり興味がないのだろう。本人も書きながらそれを自覚したのかもしれない。正岡子規については、途中から明らかに義務的な扱いになっていく。

 小説だかノンフィクションなんだかはっきりしないところも困ったもので、読むとなんとなく日露戦争やその時代について「わかったような」気になってしまう。池波正太郎を元に江戸時代について語る人は少ないだろうが、司馬遼太郎はいかにも事実めいて書く、あるいは史実を元にふくらませるので、司馬遼太郎で得た知識を元に歴史を語ってしまう人は結構いる。おそらく、これは「坂の上の雲」の根本的で最大の欠点だと思う。講談師の語る山中鹿之助の話を元に戦国時代を語る人は少ないだろうし、愚かなことだが、講談師がニュースを語ったらどうなるだろうか。それと同じようなことが「坂の上の雲」についてはいえる。

 後は、まあ、これはおれがいささかへそ曲がりなせいだろうが、あの小説に書かれているのはどうも立派な人ばかりだ。「そうなのだ、明治時代の人は立派だったのだ」と言われれば、まあ、そりゃ、日露戦争の頃、立派な人はいろいろいただろう。立派な人を取り上げれば立派に決まっている。しかし、一方でしょうもない人もたくさんいたんではないかと、しょうもないおれとしては思うのである。

 日露戦争は明治37年から明治38年である。啄木が借金しては浅草で女を買っていたのも、出っ歯の亀太郎が風呂屋の覗きをしていたのもおおよそその頃である。ことさらに都合の悪いものばかり挙げるのも何だが、まあ、人の世だ。実際にはいろいろな人がいたに違いないと思う。

 軍事、上昇志向、刻苦勉励、戦争、軍艦、作戦、勝利。「坂の上の雲」はオノコノコが気持ちよくなるように書かれた小説で、そういう意味ではよくできていると思う。好きな人の気持ちもわからないではない。が、おれはちょっともう読む気になれない。へそ曲がりであるからして、日露戦争の頃に生きていたしょうもない人たちについて書いた「床の下の蜘蛛」なんていう小説があったら読んでみてもいいと思うけれども。

追記:サービス(か?)
9:02あたりで、テント(芸人)の蜘蛛の決闘が見られます。

坂の上の雲の時代にも、村上ショージやテントのような人たちはいたと思うんよね。