間抜けな姿

 間抜けな姿というのはいろいろある。

 例えば、朝、ボケていて、ズボン(ええい、もうこれで行く)を履き忘れて通勤電車に乗ってしまうとか、ついでにパンツまで履き忘れてしまうとかも、かなり間抜けだ。しかし、幸いなことに、たいていは駅にたどり着く前におまわりさんが捕まえてくれる。

 一方で、おまわりさんが捕まえてくれない間抜けな姿というのもあって、例えば、道を歩きながら携帯でメールを打っている、というのがそうだ。あれ、見ると、何ヲソンナニ夢中ニナッテオルノデアロウカ、と、わたしはいささか不思議の念を覚える。

 いや、道路交通上危ないからやめましょう、などと、区役所的よいこの生活指導をしたいわけではない。

 あの間抜けさの正体は何であろうか。

 似た物を探すと、歩きながら夢中で漫画雑誌を読んでいる人がそれに当たる。おそらく、漫画雑誌もメールも、電車の中や何かで区切りがつかなくて、そのまま歩きながらに移行したのであろう。

 電車の中で漫画雑誌を読んでいるのは、間抜けなふうではない。しかし、歩きながらとなると、これはいささか判断力に欠けると言わざるを得ない。まわりが見えなくなるほど入れ込んでいるわけで、そういう姿を素の人間が見ると、おそらく間抜けに見えるのだろう。

 夢中になれるものがある人はスバラシイ! などと、わたしは必ずしも思わない。

 まあ、しかし、こういうことを書くのは、わたしがあまり携帯でメールを打たないからかもしれない。電車の中で漫画雑誌に読みふける人についてはどうとも思わないが、夢中で携帯のメールを打っている人を見ると、なぜか、ムムムムいやはや、などと思う。

 携帯のメール、それもおしゃべり的なものって、なんだか子どもっぽい感じがするのよね。だから、その手のものに道を歩きながら夢中になっている人に、違和感を覚えるのかもしれない。

 なんだ、結局はおれの偏った好き嫌いの話かいな。