予知能力

 超能力の一種に予知能力というのがあって、小説やなんかで時々、扱われるようだ。


 ようだ、というのは、最近、その手の小説を読んでないからで、しかし、扱われてはいそうである。さっき、そんな予知をした。


 何を隠そう、わたしは時折、予知をやる。
 未来の1シーンが脳裏に映るのだ。
 ただ、一度も当たったことのないのが痛いところだ。


 予知能力があると便利な気はするが、実際はどうなんだろう。


 例えば、これから起きることのあらゆる道筋が見えるとしたら、随分、つまらなくないか?


「おれはこれから大して出世もせず、仕事も楽しくなく、給料もあまりもらえず、家では夫婦の会話はほとんどなく、子供には軽く無視され、友達も特になく、病気を5年くらいしてから、言葉に尽くせぬ苦しみの中でじんわりと死んでいく」


 なんていうことがくっきりと、しかも些末な部分まで克明に見えてしまったら、いささかツラいものがある。


 まあ、そんなふうにあんまり見えすぎるというのも困るから、小説や映画、ドラマなんかでは、未来の1シーンが一瞬見えるとか、複数の道筋が見えるとか、いろいろ工夫しているのであろうと思う(これを称してご都合主義ともいう)。


 子供の頃、一時、冒険小説やなんかの結末を先に読んでから、最初に戻る、ということをしていた。


 今思えば、随分、つまらんことを、と思うのだが、ハラハラドキドキしすぎることに耐えられなかったのかもしれない。
 最後はハッピーエンドという安心感と、ハラハラドキドキの両方を手に入れようというわけで、それはそれでいいのだが、読む体験のうちの大事な部分が抜け落ちてはいたろうと思う。


 予知能力を持つ、というのも、読み物の結末を先に読むようなつまらなさがあると思う。
 先々ワカンナイから面白い、あるいは、どうにかやってられる、ってのもあるし。


 しかし、あれだ、予知能力によって未来の1シーンが見えるとして、必ず劇的なシーン(崖から足を滑らせるとか、誰かとチューしているところに奥さんがいきなり現れるとか)が見えるものなのか。


 もっとも、劇的なシーンでないと、いささか困る、というのもある。


 区役所で住民票をぼんやり待っているとか、満員電車の中で目の前の酔っぱらいの息を我慢しているとか、口からヨダレ垂らして眠りこけているとか、そんな未来の1シーンを予知したとして――どうすればいいのだ?

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘四百六 あなたは今、予知の夢の中でこれを読んでいる。