奇人伝〜古沢憲吾

 一昨日、谷啓のいかにも奇人らしいエピソードを紹介したが、クレージー・キャッツの周辺にはいろいろと変わった人がいたようだ。


 クレージー・キャッツの映画を数多く撮った古沢憲吾も、相当な奇人だったという。


 植木等の最初の主演作「ニッポン無責任時代」は素晴らしく面白い。
 作劇法も、起承転結も、日本の喜劇映画に付き物の“ペーソス”もあるものか、全編異常なテンションで、アレヨアレヨという間に終わってしまう。
 見ている人間は、植木等の軽快な動きとバカ陽気な歌声に見惚れ聞き惚れ、映画のアレヨアレヨ的展開に呆気にとられて、もしかしたら、笑う余裕すらないかもしれない。


 この映画の監督が古沢憲吾だ。他に加山雄三若大将シリーズなんかも撮っている。


「笑うふたり 高田文夫対談集」(中公文庫)の、谷啓高田文夫の対談より、古沢憲吾のエピソード。


  僕らは撮影中しかお付き合いなかったけど、映画に入ってるときはものすごくピンと張り詰めた人でね、最初はウケ狙ってるのかと思ったくらい、テンションが高いんです。だから隠し撮りが出来ないんです。一応隠し撮りしたいという気持ちはあって、打合せは銀座のビルの脇かなんかで密かに行うわけですよ。で、信号変わったら、いま助監督が歩いてるあそこから二人でゆっくり渡ってきて下さい。隠し撮りだから、一般の人にわからないように。じゃ、行きますって言ってスタンバイして、カメラを回すっていうときに、一番高い声で「ヨーシ!! オーッ」って。そこらを歩いてる人が全員、何事だってなっちゃう。
高田 コントだ、それじゃ(笑)。
  最初は「あ、ギャグだな」と思ったもの(笑)。


 確かに、いわゆる「監督コント」そのものである。


  (……)早朝のロケで、成城のどこかの家の表札だけ撮るなんていうときも、表札映すだけなんだから静かにと言うんだけど……、
高田 映すだけだから(笑)。
  「被写体撮れーッ!!」って。
高田 表札にキューは要らないって(笑)。


 もしかしたら――古沢監督には失礼だが――できあがった映画より、メイキング・ビデオを見たほうが面白いのではないか(残念ながら、当時、メイキングを撮る習慣はなかったが)。


植木等伝『わかっちゃいるけど、やめられない!』」(戸井十月著、小学館)によると、古沢憲吾は普段は穏健な常識人だが、映画の撮影となると人間ががらっと変わってしまったらしい。
 植木等がこんな思い出話を語っている。


「なにしろ伝説の多い人だったね、パレさん(稲本註:古沢憲吾の通称)は。松林宗恵監督の『兄とその妹」の時、彼は助監督だったの。原節子さんが主演でね、監督に原さんを呼んで来いって言われて、慌ててその映画で使っていた馬に飛び乗って駆けていったわけ。そこまでは格好いいんだけど、撮影所の中に流れている川に馬が躓(つまず)いて放り出されちゃって、馬はそのまま走ってっちゃった。で、パレさんはズーッと気絶してたって、そういう人だからね」


 これでは喜劇映画を作る人というより、本人が喜劇映画である。


加山雄三にね、“植木さん、あの古沢さんにだけは気をつけた方がいいですよ”なんて言われたこともあったな。加山ちゃんが走らせる車の後ろにパレさんが立ち乗りしていて、演技指導しながら撮影する段取りだったらしいのね。で、“いくよ! ヨーイ、スタート!!”って言った途端に車が走り出してパレさん落とされちゃった。加山ちゃんはそんなこと知らないから、車を運転しながらずーっと一人で演技を続けていた。いつまで経っても“カット!”の声がかからない。そりゃそうよ、後ろにパレさんいないんだから。落とされちゃったパレさんはというと、撮影所の近くの大蔵病院てのに一人で行って治療してもらって、松葉杖ついて戻ってきた。で、びっくりしている加山ちゃんに、“よし! 続き行こうか!!”だって。みんなが、“監督、無理しないで、このシーンは助監督に任せたらどうですか”って言っても、“そうはいくか!”ってまた車の後ろに立って、今度はロープで体を縛って、“ヨーイ、スタート!”だって」


 とにかく、映画となると異常なテンションの人だったらしい。


 まわりは大変だったろうけれども、現場には活気があって、思い出話をしたとき、「あの頃は面白かったねえ」となるのだろう。


 映画がテレビに押されてダメになっていく、少し前の時代の話である。


植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

植木等伝「わかっちゃいるけど、やめられない!」

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「今日の嘘八百」


嘘六百五十八 「イマジン」が便利なのは、とりあえず想像しとけば用が済むところである。