美食家

 どうもよくわからない概念に「美食家」というのがある。
 文字通りにとって「うまい食事を好む人」かというと、それだけではないようだ。世の大半の人はおそらく「うまい食事を好む人」だが、では世の大半の人が「美食家」かというとそうではなかろう。
 世には「美術愛好家」とか、「音楽愛好家」と呼ばれる人々もいる。では、美食家を「食事愛好家」と呼んでみるとどうか。馬鹿みたいである。おそらく、人間は食わねば生きていけないという宿命のもとにあるからだろう。No Food, No Life.
 おれの語感では、美食家と呼ばれる人々は高級な食事を好む。いくら味にうるさいと言っても、吉野家松屋すき屋なか卯と神戸らんぷ亭の牛丼の味の違いをとくとくと語る人は美食家とは呼ばれない。それはただの牛丼好きである。
 そうして、美食家は味の細かいところにうるさい。何々はどこの産の、しかも季節はいつのものでないといかん、だの、何々は揚げる前にさっと何とかはしなければならんだの(知識がなくて具体的な例が書けない)、細々したことをごちゃごちゃと言う。
 まあ、この手のうるささは美術愛好家や音楽愛好家の中にもあって、モネは何年から何年までの間のしかも何とかを描いたものでなければならぬ、だの、ソニー・ロリンズは何と何と何は認めるが、後はクソだ、とか、まあ、うるさい人というのはいる。好みを追求していくとあれはイヤだ、これはイヤだ、こうでなければならぬ、となっていくものなのかもしれない。ただし、美術愛好家とか音楽愛好家という呼び方は美食家よりかなり広く、単に一部にやたら細かい人もいるというだけである。また、美術愛好家や音楽愛好家は必ずしも高級路線を歩むとは限らず、下賤、大衆的、ポップなものを好む人たちも含んでいる。
 飲食物でいうと、安い焼き鳥屋なんかでも焼き鳥に安酒で楽しめるものだが、そういうよさを好む人はあまり美食家とは呼ばれないようである。美食家という言葉にはスノビズムの香りが漂う。
 何なのだ、美食家とは。なぜ美術愛好家や音楽愛好家を美見家とか美聞家とは呼ばないのか。だいたい、美食って何なのだ。うまい飯というだけではないようだが。