詩歌を日常に取り入れると

 こういう詩歌のはさまる感覚というのは、現代の日常生活にはない。昔はどうだったのだろう。節をつけて語るようなことが――例えば、和歌など――割に普通だったのだろうか。それとも、それはやはり芸の世界に限定されたことだったのだろうか。

 思えば、我々は随分と散文的な世界で生きている。家族と話すのも散文だし、仕事の話も散文だし、詩歌の世界と馴染みやすいヨッパラった状態でも、歌は歌、話は話である。

 詩歌の世界に浸るとよい心持ちになれるのに、いささかもったいない。

 もし詩歌が日常会話の中に紛れ込むとどうなるだろうか。

「課長、企画書確認していただけましたか」
「ああ、見といた。ただね、ここの見積りの部分だが。


♪ハァ〜、印刷コストのぉ〜単価ぁの部分がぁ〜、
 低ぅす〜ぎ〜てェ〜
 これ〜じゃ〜ウチからァ〜
 持ちぃ出しぃだァ〜


 もう一度見直したまえ」
「♪わかりィましたぁ〜とぉ〜、席にぃ戻るゥ〜」

 これでは労働生産性というものはメチャメチャかもしれないが、何かこう、全員幸せな人生を送れそうな気もする。

 まあ、日常生活は難しいとしても、いつももっともらしい顔をして語るばかりのテレビのニュースショー。ああいうのは、ニュースの端々で節をつけりゃいい感じなのに、と思う。古館さん、やるならあなただ。

完訳 水滸伝〈2〉 (岩波文庫)

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