こういう詩歌のはさまる感覚というのは、現代の日常生活にはない。昔はどうだったのだろう。節をつけて語るようなことが――例えば、和歌など――割に普通だったのだろうか。それとも、それはやはり芸の世界に限定されたことだったのだろうか。
思えば、我々は随分と散文的な世界で生きている。家族と話すのも散文だし、仕事の話も散文だし、詩歌の世界と馴染みやすいヨッパラった状態でも、歌は歌、話は話である。
詩歌の世界に浸るとよい心持ちになれるのに、いささかもったいない。
もし詩歌が日常会話の中に紛れ込むとどうなるだろうか。
「課長、企画書確認していただけましたか」
「ああ、見といた。ただね、ここの見積りの部分だが。
♪ハァ〜、印刷コストのぉ〜単価ぁの部分がぁ〜、
低ぅす〜ぎ〜てェ〜
これ〜じゃ〜ウチからァ〜
持ちぃ出しぃだァ〜
もう一度見直したまえ」
「♪わかりィましたぁ〜とぉ〜、席にぃ戻るゥ〜」
これでは労働生産性というものはメチャメチャかもしれないが、何かこう、全員幸せな人生を送れそうな気もする。
まあ、日常生活は難しいとしても、いつももっともらしい顔をして語るばかりのテレビのニュースショー。ああいうのは、ニュースの端々で節をつけりゃいい感じなのに、と思う。古館さん、やるならあなただ。
- 作者: 吉川幸次郎,清水茂
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1998/11/16
- メディア: 文庫
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