散文的世界と詩歌的世界

 またしても水滸伝の話だが、水滸伝の各巻はたいていわかったようなわからないような詩で始まる。こんな具合だ。

詩に曰わく、


英雄の聚(あつ)まり会するは本(も)と期無し
水滸と山涯に指揮に任ず
生辰に向(お)いて衆賓を邀(むか)えんと欲し
特に三阮をひ(手偏に反)きよせて神機に協(くわ)わらしむ
一時の豪侠は黄屋をも欺(あなど)り
七つの宿(ほし)の光芒は紫微を動(ゆる)がす
衆は梁山を守りて同じく義に聚(あつ)まり
幾多の金帛も尽(み)な俘(えもの)として帰る


(第十五回「呉学究 三阮に説いて籌に撞らしめ 公孫勝 七星に応じて義に聚まる」より)

 また、話の途中でしばしばいささか唐突に詩が挟まる。

 魯智深楊志、とりでの主となって、酒をくんで祝賀の宴、子分たちはすっかり降参しましたので、もとどおり小頭を置いて取り締まらせます。曹正は二人の豪傑と別れ、百姓を引きつれて、帰って行きましたことは、これまでといたします。その証拠には次の詩、


古刹は清幽にして翠微(すいび)に隠る
とう(登におおざと。トウ小平のトウ*1)竜割拠して非為(あしわざ)を恣(ほ)しいままにす
天は生ず 神力の花和尚
草を斬り根を除きて更に悲しむ可し


(第十七回「花和尚 単りにて二竜山を打ち 青面獣 双りして宝珠寺を奪う」より)

 おそらく、詩の部分はかつて中国の講釈師が節を付けて歌った部分なのだろう。我が国の浪花節と同じだ。浪花節もたいてい歌で始まり、素の語りの合間合間に歌が始まる。

 水滸伝から直接浪花節が生まれたというわけではなく、歌と素の語りが混じる芸というのが中国にも日本にも昔からあったのだろう。文楽などの義太夫もそうだ(素の語りはもっぱらセリフのみだが)。聞いたことはないが、平家物語を語る平曲はどうなのだろう。

 浪曲義太夫もそうだが、上手い人が語ると、節の部分で何ともいえないいい心持ちになる。水滸伝の詩の部分も、講釈師が節をつけて歌うとよい感じだったのだろう。残念ながら文字で、しかも日本語に無理くり翻訳したものを読むとあまり面白くはないのだが。

*1:かの有名なトウ小平のトウくらいJISに入れてほしい。