ここ何日か水滸伝について書いているけれども、自分の中で今、水滸伝が盛り上がっているからとか、そういうわけではない。
ありようはむしろ逆で、「そういえば、水滸伝の各巻のタイトルって、イカしていたよな」とふと思い(いつもの脳内回路の誤作動であろう)、ここのページに書くために本屋で水滸伝を1冊買ってきた、というだけである。
で、水滸伝のページをつらつらめくって見ていくと、挿絵が実にいい味わいなのである。
例えば、冒頭、「第一回 張天師 祈りて瘟疫を禳い 洪大尉 誤って妖魔を走がす」というところの挿絵。
洪大尉という人が勇を恃んで、封じ込めてあって妖魔達を解き放ってしまうという、水滸伝全体の序にあたる場面である。
という絵なんですがね、下のやや右側の人物が妙にウレシそうなのである。
このシーンに限らず、全体に、水滸伝の挿絵の人々は、なぜだかやたらとウレシそうなのである。
例えば、「第二回 王教頭 私かに延安府に走れ 九紋竜 大いに史家村を鬧がす」。
村を攻めてきた山賊相手に、史進が馬を蹴立てて大立ち回り。
……なのだが、右上の人。
この人、好きだなあ。買ってきた水滸伝の挿絵の中で、一番いい。
「第三回 史大郎 夜わに華陰県を走れ 魯提轄 拳もて鎮関西を打つ」。
魯提轄(提轄は隊長くらいの意味。後、魯智深と名を改める)が悪どい肉屋をぶん殴って、殺してしまう場面。
飛んで、「第十回 林教頭 風雪の山神廟 陸虞候 火みて草料場を焼く」。
高官の意を受けた三人の者がまぐさ場に放火して、林冲を陥れようとする。
水滸伝には多くの版があるそうで、おそらく、挿絵もいろいろなものがあるはずだ。
わたしが見ているのは岩波文庫で、「容与堂本」というのが底本と書いてある。たまたま、その版の挿絵がウレシそうなだけなのかもしれないが、わたし、この緊張感のなさ、好きである。
描いた人の、眉根を寄せるような真剣みや、今日的な意味でのプロ意識が全く感じられないところもいい。古い中国のおおらかな味わいというか、人間の心理を掘り下げるなどという小賢しいことにハナっから興味がない、あっさりさ加減というか。
最後は再び、「第三回 史大郎 夜わに華陰県を走れ 魯提轄 拳もて鎮関西を打つ」より。
史進が再び大暴れ。人の首をはね飛ばしたりして、リアルに捉えれば凄惨なはずなんですがね。
下のほうの2人が実に味わい深い。
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