松枝茂夫編訳版・水滸伝

 松枝茂夫編訳の「岩波少年文庫 水滸伝」を読んだ。
 読み進めるうちに、「ああ、子どもの頃に読んだ水滸伝はこれだったのだな」と気がついた。小学生だったか、中学生だったか、市の図書館で借りて、とても面白く、夢中になって読んだことを思い出した。
 おれが大人になってから水滸伝を読んだのは四十代に入ってからで、岩波文庫吉川幸次郎・清水茂訳版だった。その後、何年か経ってからちくま文庫駒田信二訳版を読んだ。吉川英治の「新・水滸伝」も読んだが、これは中国の水滸伝から筋を借りた別物と考えたほうがよさそうだ。
 松枝版、吉川・清水版、駒田版の中で、おれは松枝訳版が一番好きだ。
 松枝版は、はしがきによると「五分の一くらいにちぢめたもの」だそうだ。その後にこうある。

しかしそのために「水滸伝」の面白さが五分の一にちぢまってしまっては困ります。およそ小説の筋書ほどつまらぬものはありません。わたしはこの本がただの筋書に終らぬようにと、一生けんめいにつとめたつもりです。それでふつうの読者にはあまり興味がないと思われるところは思いきって圧縮しましたが、そのかわりに、だいじなところはなるべく原書のとおりに訳しました。同時に原書にない言葉は、やむを得ない場合をのぞいては、一字も加えまいと心がけました。

 松枝版がいいのは水滸伝の面白いところだけを上手に拾って訳していることである。何しろ、水滸伝は長い。百二十回本という一番長いバージョンの完訳・駒田版は全部で3,500ページほどになる。それが松枝版は新書サイズで900ページあまりだ。
 おそらく読んだことのあるほとんどの人が同意すると思うが、水滸伝が特に面白いのは、全体の三分の一くらいまでである。後半に入ると、戦の話が多くなる分、一人ひとりの個性が表れず、話が平板になっていく。
 松枝版はつまらないところを筋書きにとどめている。極端なのは、宋江率いる梁山泊軍が朝廷に帰順してから後の話だ。宋江が遼、田虎、王慶、方臘を征伐するのは百二十回本では全体の三分の一(四十回分)を占めるが、松枝版はこれをたったの一回分、21ページにまとめている(要するに、最後の三分の一はほとんどつまらないところしかないのだ)。その分、面白い部分にたっぷりとページを与えてある。
 松枝版のもうひとつのいいところは、文章がよくこなれていて、活気のあるところだ。
 吉川・清水版は思い切った講釈調を取り入れていて、最初はそれが新鮮に感じられるが、だんだん飽きてくる。もうひとつの駒田版(この先生も中国文学の大権威)はいかにも翻訳文というふうで、文章がかたく、登場人物が生きていない感じがする。
 その点、松枝版はとてもいい。地の文は地の文らしく普通に、会話は会話らしく生きたふうに書いている。一文、一文、読み物として丁寧に書き下ろしていることがわかる。おれはもともと、水滸伝の重要人物の一人である李逵(りき)を、そのあまりに強烈な殺人嗜好のゆえに好きになれなかったのだが、松枝版を読んで、李逵の愛嬌がいくらか理解できるようになった。
 水滸伝は面白い。そして、その面白さを日本語で味わうには松枝版が一番よいように思う。

水滸伝 上 (岩波少年文庫 541)

水滸伝 上 (岩波少年文庫 541)

水滸伝 中 (岩波少年文庫 542)

水滸伝 中 (岩波少年文庫 542)

水滸伝 下 新版 (岩波少年文庫 543)

水滸伝 下 新版 (岩波少年文庫 543)