調べたわけではないけれども、昔は(といっても、平安時代とかの話ではないが)そんなに感動、感動と謳っていなかったような気がする。
オリンピックか何かで感動ブームが始まり、人々が感動ってのは気持ちいいもんだと自覚して、感動中毒になっているんじゃないか。
でもって、テレビの番組表を見て、「お。感動だ!」なんて、何だかちょっとヤな感じである。
ある人に言わせると、予想している方向でいい出来だと人は「感心」し、予想外の素晴らしいことに出会うと「感動」するのだとか。なるほどね。
まあ、しかし、昔から泣けることを期待して貫一お宮の芝居を見に行く、なんてことはあったろうから、当たっているのかどうかはわからない。
それはともかく(自分で書いておいて、それはともかく、もないもんだが)、少々へそ曲がりのわたしとしては、「感動」はしばらくいい。これからは「感心」を追っかけてみたい。
例えば、先の映画「赤い月」の謳い文句。こう変えたら、どうなるか。
超感心大作が地上波初
これはいい。今の世の中、感動だらけで、油断すると感動させられてしまうが、2時間に渡って超感心する、なんて機会はめったにありませんよ。
フジテレビのほうはもっとすごい。
永遠(とわ)へ
「癌と闘いながら妊娠出産、育児…10年余に渡るシングルマザーの実録感心秘話」
いや、確かにそりゃ、感心なことだわ。
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「今日の嘘八百」
嘘三百三十九 名古屋弁では、貫一おみゃー、になるのだとか。