不思議なことに、「命懸け」ではなく、「一生懸命」をつけると、世界はまた違った姿を見せるのである。
元々は、「一生懸命」ではなく、「一所懸命」。昔の武士が自分(の家)の領地を守ることに命を懸けたことから出た言葉だ。
「一生懸命」はたぶん、誤用だったのだろうが(当時の人々も「日本語の乱れ」を嘆いたのかね)、今ではこっちのほうが幅をきかせている。
「命懸け」も「一生懸命」も字面だけなら同じふうに見える。生きるか死ぬか、ここが切所だ。
しかし、使ってみると、随分、印象が違うのである。
開催の半数に「サクラ」
タウンミーティング 政府、一生懸命に全174回調査
何だか、政府が頼りなく見えてくる。
任せておいて、大丈夫だろうか。何かお手伝いしましょうか。
福島前知事を一生懸命に起訴
1億7000万円収賄罪
検察庁まで頼りない。まあ、いろいろ頑張ってはいるのだろうが。
毛利さんら、一生懸命に南極へ
そりゃもう、ぜひ一生懸命に行ってください。応援してます!
こういうことが起きるのは、たぶん、「一生懸命」が使われすぎて、インフレ状態に陥っているせいだろう。
やたらと安易に使いすぎて、本来は命を懸けるほどの大事が、安くなってしまったのだ。
ま、わたしの手にかかりゃ、そこらへんの文化的事情っつーんですか? もっぱらうわべを繕うために言葉を使っている内情は、あっという間に暴露されてしまうのだ。ワッハッハ。
一生懸命もほどほどがいいと思うのである。
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「今日の嘘八百」
嘘二百七十八 二十四の瞳は瞳の数の減少をテーマにした物語である。