練り上げたものと出たとこ勝負と

 ここから先は好き嫌いの話も混じってくるけれども、じゃあ、ドリフターズのように念入りに作ったものが面白いかというと、必ずしもそうとは限らない。
 念入りに作ったものは、次はどうして、その次はどうやって、と段取りが決まっているから、どうしたって勢いがなくなる。


 人と喋るときのことを考えてみればよい。
 自分がこれを言ったら、相手があれを言って、そしたら自分はそれを言う、なんてあらかじめ決まっていたら、話していて面白いわけがない。
 お互い出たとこ勝負で、勝手なことをほざいて、話がどこに転がるかわからないから面白いのだ。話に勢いがついたら、とても盛り上がる(逆に話が噛み合わず、シラケきることもあるけど)。


 もちろん、コントや舞台の場合、やっている本人達がたとえ飽き飽きしていても、ハタで見ている観客なり視聴者なりが面白く感じればいいわけで、会話とはちょっと事情が異なるけれども。


 ま、しかし、出たとこ勝負の勢いの面白さ、というのは馬鹿にできないと思うのだ。成功したときには爆発的なものになる。


 いつも引っ張り出すけれども、古今亭志ん生という人が出たとこ勝負のいい例だと思う。


 あの人は、たぶん、噺のテーマと大筋だけ先に押さえておいて、後は高座に上がってから、その場で適当に組み立てて喋っていたのだと思う。だから、言葉が生き生きとしていて、瞬間的に飛び出すギャグの飛距離が途方もない。


 その代わり、ひどいときには枕からなかなか本題に入れなかったり(わたしの持っているCDには、枕を13分22秒やらかした噺がある)、最初ににおわせていた噺と別の噺になってしまうことすらある。