上澄みだけ見て素晴らしいと持ち上げるような価値観が、たぶん、気に入らないのだと思う。
どうも斜に構えた書き方になってしまうが、ご勘弁いただきたい。わたしは前を向いているつもりなのだけれども、世の中のほうが斜めに向かってくるのだ。
ワタクシ話になるが、北欧かどこかのモダンなインテリアの、ゴミひとつ落ちていない、壁にちょっとした汚れもない喫茶店(カフェ、と呼ぶのが習慣らしい)にいると、少々落ち着かない気分になる。
少なくとも自分から行きたいとは思わない。
それは、どうやら、“きれい”なひまわりが変に感じられるからのようだ。
しかし、世の中には不ぞろいな部分のないひまわりを好む人もいて、そういう人には、今日、わたしが書いたようなことはピンと来ないかもしれない。
仕方がないので、「舟唄」を口ずさみながら、去ることにいたします。
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「今日の嘘八百」
嘘二百二十六 これほど「愛」が流行っているのにいっこう平和にならないのは、「愛」が平和なところでしか流行らないからである。