面倒くさい

 この世で最強(あるいは最弱)の言葉は、「面倒くさい」ではないか、と思うのである。


 この言葉はわたしの人生の通奏低音であって、生まれたときには「ああ、面倒くせえ」と尻をボリボリ掻きながら、母親の胎内から出てきたそうである。


 何しろ、朝起きるのも面倒くさければ、飯を食うのも、ウンコをするのも面倒くさい。仕事なんて、太字のゴチック体で記したいくらい面倒くさいし、夜、眠るのも面倒くさい。


 たぶん、死ぬときも、「面倒くせえなあ」と言いながら死んでいくのであろう。


「面倒くさい」の威力を確かめるために、小説のあらすじに「面倒くさい」を加えてみよう。
 自分であらすじを書くのは面倒くさいので、Amazonのレビュー欄からコピーし、終わりのほうにちょっとだけ、付け加える。


 まずは、山崎豊子の「白い巨塔」。


国立大学の医学部第一外科助教授・財前五郎。食道噴門癌の手術を得意とし、マスコミでも脚光を浴びている彼は、当然、次期教授に納まるものと自他ともに認めていた。しかし、現教授の東は、財前の傲慢な性格を嫌い、他大学からの移入を画策。産婦人科医院を営み医師会の役員でもある岳父の財力とOB会の後押しを受けた財前は、あらゆる術策をもって熾烈な教授選に勝ち抜こうとするが、途中で面倒くさくなってしまった。


 面倒くさくなったんじゃ、しょうがない。


 続いて、渡辺淳一の「失楽園」。


出版社に勤める久木は、閑職の資料整理室勤務となり悶々とした日々を送っていた。ある日、市民講座で書道講師をしている凛子と出会う。二人は互いに妻や夫のある身でありながら、惹かれ合い逢瀬を重ねていく…。
女「こんなことをしていると、わたし達、地獄に堕ちるわよ」
男「それも面倒くさいな」


 かくしてそれぞれ、元に戻るのだ。
 まあ、何だね。よくわからんけど、とりあえずはよかったんじゃないか。