苗字・続

 昨日の続き。


(先祖の)出身地や領地の名が姓になるというのは、日本に限ったことではない。
 

 レオナルド・ダビンチは、欧文ではLeonardo da Vinciという表記になる。ビンチ村のレオナルド、という意味だ。
 正式名はLeonardo di Ser Piero da Vinci。訳すと、ビンチ村のピエロの息子のレオナルド、だそうだ。


 オランダのサッカー選手には、「ファン」のつく選手が多い(別にサッカー選手に限ったことではないが)。
 マルコ・ファン・バステン(Marcel Van Basten)、ルート・ファン・ニステルローイ(Ruud Van Nistelrooy)、ラファエル・ファン・デル・ファールト(Rafael Van Der Vaart)、マルク・ファン・ボメル(Marc Van Bommel)、ピエール・ファン・ホーイドンク(Pierre Van Hooydonk)、などなど。


 画家のゴッホも、Vincent Van Gochだ。


 オランダ語は全くわからないターヘルアナトミア状態だが、Vanは「の(英語ならof)」という意味であることくらいは、知っている。
 バステンのマルコとか、ニステルローイのルートとか、ゴッホのヴィンセントとか、たぶん、vanの後につくのは元々地名なのだと思う。
 もちろん、今ではその土地とは何の関わりもなく生きている人が多いだろうが。


 で、何が言いたいかというと、日本人の姓であれ、イタリア人、オランダ人の姓であれ、姓が地名から来ているのは、土地との結びつきが非常に重視された時代があったからだと思う。


「3ヶ月前お城に来て、わけのわからん絵を描いているやつ。あれ、誰だ?」
「ああ、あれはビンチ村のレオナルドって野郎だ」


 とか、


「やあやあ、遠からん者は音にも聞け。我こそは木曽(に領地を持つ)義仲なるぞ。我と思わん者は、よろしくお願いします」


 とまあ、そんなことは言わないだろうが、人を語る際、出身地(あるいは所属する土地)が大きな要素だった時代があったのだと思う。


 しかし、今の時代、濃淡はあるけれども、地縁は昔ほど強くない。土地と人は相対的には離れてしまった。


 Hitomiとか、Gacktとか、芸能人に名前だけを名乗る人が結構いるのは、必ずしも頭が悪いわけではなく、テレビ画面の向こう側の、地縁などから遠く離れた存在だからなのだと思う。


 芸能人に限らず、土地との結びつきがだいぶ薄まった時代だ。血縁だって、核家族化が進んで、せいぜい2親等くらいがグループとして認識される範囲になっている。
 だったら、姓を名乗らないで名前だけだって、構わないといえば、構わない。


 明とか、香織とか、ミキとか、ハジメとか、太郎とかだけでもいいはずだ。


 あるいは、所属する集団を姓にする、という手もある。


 土地との結びつきが重視された時代は、地名が姓になった。現代は土地との結びつきより、会社との結びつきのほうが重視されるだろう。
 であるならば、


 新日鐵五郎


 とか、


 ソニーさくら


 とか、


 宮内庁秀麿


 とか、そんな名乗りをすることにしたら、どうだろう。


 いや、会社への所属意識も弱まっている時代である。自分が所属すると思う集団名を姓にする手もある。


 アニメオタク大二郎


 とか、


 革マル桃子


 とか、そんなんでもいいと思う。


 そんなわけで、わたしのことを、これから、霊能者ヨシノリ、と呼んでいただきたい。
 相変わらず、霊感バリバリである。全て外れるけど。


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「今日の嘘八百」


嘘四 新しい鳥インフルエンザは電話線を通じて感染する場合があるそうだ。