論客

 嫌われる客に「長っ尻の客」というのがいる。
「長っ尻」といっても、尻が長ーいわけではない。まあ、それも何となく嫌がられそうではあるが、ここでは取り上げない。


 訪ねてきてくれたのはうれしいのだが、ずーっと居座られるとだんだんシンドくなってくる。しかし、「もう帰ってください」と言って、相手との関係を壊してしまうのも怖い。
 そんなこんなで、客は居続ける。弱気が生む、長っ尻の客。


 長っ尻の客はたいてい、無頓着なのである。わたしにも覚えがある。残念ながら、居座るほうで。


 ジョン・ベルーシが出ていた頃のサタデイ・ナイト・ライブに、「決して帰ろうとしない客」というネタがあった。
 単に、客のジョン・ベルーシがなかなか帰らないというだけのコントなのだが、なかなか面白かった覚えがある。


 長っ尻の客も嫌がられるが、「論客」が本当に客として来るのも、相当に嫌なものだろうと思う。


「そういう蓋然性も考慮にいれない限り、社会学的には意味をなさないんですよ」などと、お茶とヨーカンを前にして、まくしたてるのだ。
 こちらとしては、お盆を胸に抱えて、「はあはあ」と傾聴している他はない。


「言ってみれば、分断された社会のテクスト化が、身体性を一種の鏡にして、劇場型犯罪として表象されたのが今回の事件と考えることができるわけです」


 お説ごもっとも、と平伏する。話している内容は全然理解していないし、そもそも最初の3秒で脳味噌が止まっている。ただただ、気が済んで、さっさと帰ってくれることを願っているのである。


 論客がひとりで来るのも困るが、複数で来るのは、さらに困る。
 例えば、宮台真司東浩紀宮崎哲弥なんて人々がやってきて、応接間に居座るのだ(そういう方面には近づかないようにしているので、これらの人々についてよくは知りません)。


 論客の人々は議論が好きだから、最初に書いた長っ尻の客にもなってしまうのである。
 そうして、ナントカ空間だ、表出だ、アノニマスだ、ダブルバインドだ、意味の変容だ、と延々議論し続ける。文脈はよくわからないけれども、自意識過剰の響きのある「(笑)」がよく入る。


「決して帰ろうとしない論客」。最悪である。
 こちらは、しょっちゅう、ヨーカンを買いに隣町まで走らなければならない。


 まあ、しかし、こういう論客の人々は、一般人の迷惑にならないよう、普通は別の場所に集まっているらしい。
 その場所は「論壇」というらしいのだが、どこにあるのだろう、その壇は。花壇か仏壇みたいなものなのだろうか?


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