青年の主張

 以前、成人の日に「青年の主張」という番組を放送していた。あるいは、今もあるのだろうか。
 父親が年中行事のようにチャンネルを合わせていたので、何となく見ていた。


 もっとも、肝心の「主張」については何も覚えていない。
 毎回、いかにも真面目そうな青年が出てきて、生い立ちとか、親のことを語り、何事かを「主張」していた記憶があるが、さて、実際はどうだったろう。


 わたしはガキの頃からどこか斜に構えたところがあって、仕方がないので斜めに歩いていたくらいだが、そんなことはまあどうでもよい。
「青年の主張」をそれなりに真面目に聞きながらも、「何かなあ」と感じていた。


 今思えば、「いかにも大人の喜びそうな青年の主張」の優等生っぽさを、「何かなあ」と感じていたのかもしれない。「主張」自体は覚えていないが、その「何かなあ」の感覚は覚えている。


 見ていたのは確か、全国大会だったと思う。ということは、主張する青年達は地方大会から勝ち上がってきたのだろう。
 全国大会に至るまで、おそらく何度か審査があるはずだ。その審査をやっていたのは青年でなく、大人だろうと思う(間違っていたら教えてください)。


 大人が選び出す「青年の主張」。「何かなあ」の原因は、そんなところにあったのかもしれない。


 いっそ、「青年の主張」を青年が審査することにしたらどうだろう。多少、トゲのある主張が選ばれるかもしれないが、そのほうが厚みが出ると思う。


 ついでといったら何だが、「中年の主張」、「老年の主張」も同時開催するといい。もちろん、それぞれ中年、老年の人々が審査する。
 同世代の共感や、他の世代の反感やせせら笑いが重なって、ぐっと面白い大会になるような気がするのだが。


司会 では、「老年の主張」の部、井伊年男さんです。
井伊 みなしゃん、けしゃから入れびゃの調子がおかしくて、お聞き苦しいところはごかんびぇんくりゃしゃい。しゃっこんの若者ひょもの行動には目に余るものがありましゅ。先日もれんしゃに乗っていたりゃ、猿のような色に髪を染めた若者が座席に横になっれ……(中略)だから、わらひは日本に徴兵制の復活をろなえるものれあります。ああいう輩は、軍隊に放りこんれ、性根から叩き直すべきなのれす(会場から、「そうら!」との声)。ありがとう。ありがとう。カーッ、ペッ! 先年、わらひは韓国に参りまひたが、かの国のしぇいねん達は、実にリッパりゃ。ごじょんじの通り、韓国には徴兵制があり……(後略)


 などという大演説のうちに、徴兵制の復活、少年法の廃止、嫁の職場復帰の全面的禁止、赤線の復活など、過激な施策がバンバン唱えられるわけである。


司会 続きましては、「中年の主張」の部、鳥越九郎さんです。
鳥越 皆さん、恥をさらすようですが、しばらくお聞きください。私は昨年、20年間勤めた企業からリストラされました。退職金は雀の涙でした。妻はその直後に家を出ました。書き置き一枚を残して……。いえ、妻のことはいいのです。問題は子供達です。息子は何が不満なのか、毎日のように金属バットを振り回します。家にいるときは、風呂に入っているときもヘルメットを外せません。縮こまって、ヘルメットを必死に押さえながらわけを訊くと、「てめえ、臭いから」。そ、そんな言いぐさがあるでしょうか。私、臭いでしょうか。いえ、息子のことはまだいいのです。娘が、まさかこの子だけはと思った、む、娘が、最近、派手な服を着ているのです。大した小遣いも渡していないのに、お、おかしい、と思いました。それで、ある日、娘の携帯電話に男の名前があったので、で、電話してみると、知らない中年の男が出てきて……(以下、声がふるえて聞き取れない)。し、失礼しました。いえ、娘のことは、い、いいのです。あの、先日、ローンが15年残っている家が欠陥住宅とわかり(後略)


 会場のあちこちからは、身につまされた中年達のすすり泣きの音が聞こえる。


 これでは、「中年の主張」というより「中年の泣き言」だが、彼らも生きているのだ。温かい目で見守ってあげよう。


 ぐっと可愛いのは、「幼年の主張」である。


翔太ちゃん んとね、お母さんにね、ゲームはダメって言われるけど、みんな持っているから、んと、僕だけ、んと、んん、んんん、んー(泣き声に)、お、オシッコ……。


 不測の事態の後始末のため、会は10分ほど、中断する。


 グランドフィナーレはやはりこれであろう。「晩年の主張」。話者が布団ごと運ばれてくる。


重千代翁 んご。ぐこっ……。んん。んがごっ。で、電気。んごご……。かこっ。ぐかこっ。で、電気、消えた。んん。電気、つけ、て……。


 八十年、九十年と生きてきて、最期の主張はそんなものだと思うのである。


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