江戸っ子

 東京近辺に、もう20年も暮らしているのだが、いまだに「江戸っ子」と呼ばれるようなタイプの人に出会ったことがない。


 わたしの思う江戸っ子というのは、「そこをまっすぐ行って〜」を「そこんとこ、まっつぐ行ってよッ、」と言い、気が短く、でも腹の中はさっぱりしていて、明日のことは考えず、だからといって今日のことをよく考えるわけでもなく、昨日のことはさらさら考えず、洒落が好きで、初鰹のことばかり考えていて、一日三回湯屋に行って、ナニがナニしてナニするからナニだってんだい、やいやいやいやい、コンチキショー、と言いながら、左官の仕事をする人だ。そんなの、いないか。


 江戸っ子といえば、「チャキチャキの」という枕詞がつく。逆に、「チャキチャキ」といえば江戸っ子だ。あまり、「おらあ、チャキチャキの道産子だっぺさ」とは言わない。
 じゃあ、「チャキチャキ」って何だ? と、あらためて問われると、答えられない。コンチキショー。


 まあ、こうした「江戸っ子像」というのは落語で7割、時代劇で3割培われた人物像だ。おそらく、誇張されているんだろう(しかも、たぶん、今の落語家の大半は地方出身者だ)。
 しかし、そうしたニオイを感じさせる人にすら、ほとんど会った記憶がない。


 わたしがもっぱら東京の西側に住んできたからだろうか。
 あるいは、東京の東側の飯屋かなんかですれ違っているのかもしれないが、どうもナニがナニしねえや、コンチキショー。


 江戸は百万都市だったと言われるけれども、その半分は武家方面の人間だったそうだから、それらは(少なくとも落語に出てくるような)江戸っ子ではなかったろう。
 とすると、江戸っ子の資格を持つ者は女性も含めて五十万人だ。


 江戸が東京になってからは、官吏やら、職を求める人やら、一旗挙げよう組やらが地方からごちゃっと集まってきたので、江戸っ子はどんどん色が薄まったか、片隅に追いやられたのかもしれない。
 なんだか、サルの世界の話みたいである。


「江戸っ子」と呼ばれる町人達が住んでいたのは、今の東京の南東、東が中心だったようだ。浅草や向島に行っても、今はマンションばかりである。


 現代のわずかに生き残った江戸っ子は、マンションで初鰹食いながら、「おう。おらあ、ひい爺さんの、そのまたひい爺さんの、もひとつひい爺さんの代から続く江戸っ子だよ。曲がったこたぁ、でえっ嫌いでい。そこんとこ、まっつぐ行ってよッ、ひとっ風呂浴びて、あらよっ、ってんでナニをナニするんだい。やいやいやいやい。コンチキショー。左官ーッ! 大工(でえく)ーッ!! 経師屋ーッ!!!」などとわめいているのだろうか(まあ、これでは絶滅して当然である)。


 わたしも、その「官吏やら、職を求める人やら、一旗挙げよう組やらが地方からごちゃっと集まってきた」人々の流れを汲んでいるわけだし、江戸っ子がどうやら絶滅しかけているなら、絶滅させている側にいる。


 しかし、今、本当に「チャキチャキの江戸っ子」という人を見かけたら、感動するとは思う。


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