上田正樹と有山淳司の「ぼちぼちいこか」というアルバムに「大阪へ出て来てから」という歌がある。
田舎から大阪に出てきた男が、最初は道頓堀のネオンに驚いたりしながらも、だんだん大阪弁にも慣れ、自分でも話すようになり、大阪の人間になっていく様が唄われていく。
ラグタイム風の軽い曲調の中に哀感が漂う、なかなかいい歌だ。
昨日の日記のコメント欄にくりおさんが書いていらっしゃったが、大阪に行くと、いかにも大阪の人だなあ、という人にたくさん会う。
たくさん会う、というよりも、大阪風の人だらけ(変な言い方だな)、という感じだ。
昨日も書いたように、今の東京に、江戸っ子に代表されるような気風はあまり(ほとんど?)残っていない。
少なくともわたしは、仕事の現場で「アタボウだってんだ、このスットコドッコイめ!」と罵倒されたことはない。
東京の人なりの雰囲気というものはあるけれども、それは何か、最大公約数的というか、均した感じというか、あまり土地柄の強く表れたものではない。
一方、大阪には、言葉をはじめ、いろんな点での「大阪っぽさ」が色濃く残っている。くりおさんの言うように、それこそ、「コテコテに」である。
言うまでもなく、大阪は大都市であり、経済都市だから、東京と同じように大勢の地方出身者が流入してきたはずだ。
しかし、わたしのような外部の人間からすると、会う人のほとんどが何代も前から大阪にいて、大阪で煮染めた人のように思える。
東京と大阪のこの違いは何から生まれるのか。
興味深いが、わたしにはわからない。
ただ、何日かいると、いつの間にか、自分でも大阪弁らしきものを口にしていることに気づく。
まわりの、大阪ネイティブの人からすると変テコな言葉遣い、イントネーションなのだろうが、ともあれ、つい同化してしまうのだ。
もしかしたら、大阪菌とでも言うべき、強力な繁殖力を持つ菌があるんじゃないか。
あ、悪口じゃありませんよ。菌には善玉菌だっていますから(バイ菌もいるけど。あわわわわ)。
日本の他の大都市、例えば、名古屋や福岡、札幌はどうなんだろう。名古屋菌、福岡菌、札幌菌はあるのだろうか。
なお、「大阪へ出て来てから」はこんな歌詞で終わる。
ゴミ溜めの街には懐かしさ覚え
わいも一生ここで暮らすんかなと思ったり
若い頃は一発当てよと
大阪へ勇んでやって来たが
わしらには宝くじしかないんかなと思う