江戸デイ

 会社にノー残業デイやカジュアル・デイがあるなら、江戸デイなんてものがあってもいいではないか、と思うのである。


 いや、メチャクチャなリクツだということはわかっている。頭ん中が乱反射しているんだから仕方がない。


 江戸デイは、朝の挨拶からして違う。「おはようございます」なんていうまどろっこしい言い方は、江戸っ子であるからして、しないのだ。
「おうっ!」と、こう短く、威勢よく行くのが江戸っ子である。


 この「おうっ!」は、決して英語の“Oh!”ではない。
 普段より、半オクターブほど高いトーンで発する。理由はわからないが、斜め上を向き、下唇を横にずらすようにして、「おうっ!」とやると、うまくいくようだ。


 遅刻の言い訳も、こんなふうでなくてはならない。
「親方、どうもあいすいやせん。実は、出がけに、うちのカカアとちょいとナニしやしてね。ヘヘ。いえね、帯がほしいの、カンザシがほしいの抜かしやがるから、鏡と相談してからにしろい、このヘチャムクレ、って言ってやったら、怒りやがってね。もう、大げんかでさ。長屋のカカア連は向こうに加勢するし、男どもは面白がって囃し立てるし、最後は大家まで出てくる始末で。ヘい。そんなわけであっしも悪気はなかったんスよ」
 と、血まみれの頭を掻きながら言う。


 いつもはネチこい親方(課長)も江戸デイだからして、「しゃあねえなあ。ま、さっさと仕事にかかんな」と、それでよしになってしまう。


 電話がかかってくると、こんなふうに受ける。
「おうっ、駒形のっ! いつも世話になってるねぃ。金公かい。今、呼ぶから、待ってくんな」
 そうして、
「金公! ……お、てめえ、何もぐもぐしてやがんだ。焼き芋ぅ? 江戸っ子が、ンな間抜けなもの食うない。花菱商事の半ちゃんから電話だよう!」


 古株のOLには、こんなふうに話しかける。
「姐(あね)さん、ちょいとお願いがあるんスけどね。こないだの領収書の件〜」


 一方、重役会議ともなると、町人風情の浮薄な言葉遣いはしない。


「こたびのジステンパー社による敵対的買収について、皆様方の意見をうかがいたい」
「敵は外資にござる。あっさりと買収されたとあっては日の本の武士の名折れ。いざというときは、ビルに火を放ち、城を枕に……」
「まあまあ、そう早まったことを申されるな。何も、すでに買収が決まったわけではござらん」
「しかし、敵の資金に対抗しないことには、どうにもなり申さぬ。まず取引先に助力を頼み、第三者割当増資を図るべきかと」
「だが、昨今の我が社の業績からして、とても増資に応えてくれる相手なぞおらぬと見るが」
「かくなるうえはビルに火を放ち……」
「佐藤殿、その『かくなるうえは』は控えてくださらぬか」
「火を放つ云々はともかく、敵の資金力は相当なものにございますぞ。これは甚だ申しにくく、また口惜しいことでもあるが、社員の今後のこともある。この際、買収を受け入れて……」
「なんと! これは田中氏(うじ)の言葉とも思えませぬな。しからば、軍門に降ると申されるか?!」
「それもこの世の習い。詮無きことかと」
「卑怯者っ!」
「卑怯っ?」
「卑怯ではないか!」
「一個の武士に向かって、ひ、卑怯とは何事ぞ! 勘弁ならぬっ!!」
「お控えなされいっ!」
「殿中でござる! 殿中でござる!」
「会議中でござる! 会議中でござる!」


 そうして、刀を取り押さえようとわあわあやっている横では、完全に目の据わった佐藤重役がライターを弄びながら、「かくなるうえはビルに火を放ち……」とつぶやいているのである。


▲一番上の日記へ

        • -


「今日の嘘八百」


嘘十一 フィギュアスケートでは、来シーズンから回し蹴りが認められる公算が大きいという。