よく事情は知らないが、戦後、漢字教育は漢字の数を減らす方向に行ったらしい。
大量の漢字を覚えるのに時間がかかるためだろう。
漢字教育にかかる時間については、戦前から問題になっていた、という話を何かで読んだことがある(カナだけとか、ローマ字にしろとか、いろいろな主張があったらしい)。
しかし、漢字をなくせ、という意見は、現在までマイナーであり続けている。
漢字ならではのニュアンスやイメージの喚起があるからだろう。
「やきにく」と「焼き肉」、「こうきょうこうじ」と「公共工事」では、頭の中にウニウニと湧き出るものが違うのだ。
漢字仮名交じり文にはもうひとつ、メリットがある。
それは、速く読める、理解できるということだ。
どうやら、漢字仮名交じり文を読むとき、我々は主に漢字部分に注目して、かなの、特にテニヲハの部分は流して読むらしい。
たとえば、上のふたつの引用文を読む時間を、ストップウォッチで計ってみる。
わたしは、最初のかなだけの文章を読むのに、37秒かかった。
しかし、後のほうの漢字仮名交じり文だと28秒である。
仕事で、文字校正をしていると、よくわかる。
ワープロによる原稿だと、漢字変換のミスがよく起きる。しかし、これは校正していて、すぐに気づく。
一方、仮名部分の間違い、例えば、「そんなことをいったっててさ」なんていうのは、案外と見落としやすい。
漢字に注目して文章を読んでいる証拠だろうと思う。
私は漢字ラヴァーだ。
この、ワープロ全盛の時代である。書けなくてもいい。読めればいい(私だって、「薔薇」とか、「鬱」なんて手書きできない)。
小中高校生よ、あるいは、これから教育されるガキども(ザマーミロ)よ。諦めたまえ。その先には、結構、楽しい世界が待っているぞよ。