ゲンを担ぐ

 スポーツ選手にはゲンを担ぐ人が多いようだ。


 スパイクの紐は必ず右から締める、とか、試合会場へ行く道順を決めている、とか、大事な試合のときに履くパンツを決めている、とか、いろいろある。


 どうやら、うまくいった試合のときにしていたことを繰り返したくなるらしい。


 たとえば、勝った試合で、「そういえば、会場に着く前に右折したなあ」と思うと、次のときから右折を繰り返すようになるのだ。
 そうして、ぐるぐる、ぐるぐる、同じところを回ってしまい、会場にたどり着けなくて、チームはあっけなく敗北。そのせいで最下位が決定し、シーズン終了後には自由契約。美人の奥さんは実家に帰ってしまう。
 酒に溺れる。女に騙される。チンチロリンにハマる。身ぐるみ剥がされて、隅田川に簀巻きで放り込まれる。


 と、まあ、そういう悲惨な結末もあり得るので、ゲンを担ぐのもほどほどにしたほうがいいのかもしれない。少なくとも、左折はしたほうがよい。


 あの、ゲンを担ぎたくなる心理というものを、私は常々、興味深く思っている。なぜ、彼ら・彼女らはゲンを担ぐのか。


 人には、ある行為とある結果を、道理の有無とは関係なく、結びつけて考えてみたくなる傾きがある。


 たとえば、ミミズに小便をかけるとチンチンが腫れる、なんていう有名な説がある。
 たぶん、昔、チンチンの腫れちゃった人が「なんで腫れたんだろう?」と原因を究明して、「そういえば、昼にミミズに小便ひっかけた! そのせいに違いない!!」という結論に達したのだろう。


 おまじないの類は、だいたい、そういう思考法で生まれるのだと思う。ゲンを担ぐのも、おまじないと同じ思考法によるのだろう。


 また、競技、あるいは勝負事というのは、運に左右される部分が大きい。選手は運というものに対して不安で敏感な心理状態に置かれる。
 そうすると、何か、支えになるものがほしくなる。そこで、ゲンを担ぐ。スパイクの紐の結び方や、道順や、パンツに自分を支えてもらうのだ。
 ここらへんの心理は、ギャンブル好きの人を観察すると、いっそう、よくわかると思う。彼ら・彼女らには、ゲン担ぎや、逆にやってはいけないことが、とても多い。


 まあ、競技選手というのは、勝ち負けがある以上、大なり小なりギャンブラーではある。


 もうひとつ考えられるのは、以前に勝ったときや、いいプレーができたときと同じ精神状態に持っていきたい、という理由だ。


 たとえば、スパイクの紐を右から締めることで、そのときの精神状態と同じになるような“気がしてくる”。
 おそらく、この“気がしてくる”というところが大事で、そうなるならば、手段は、スパイクの紐の結び方でも、道順でも、パンツでも、何でもいいのだ。
 中には、「試合前には必ずミミズに小便をかけることにしています」という選手がいたって、いい。それで“気がしてくる”のならば。
 ただし、試合中、チンチンを腫らしながら走り回ることになるかもしれないが。


 私自身は、ゲンを担ぐということがない。
 ミミズに小便をかければ面白い文章が書ける、というのなら、まあ、かけたっていいが、どうやら、あまりゲンやまじないの類を信用していないようだ。


 高校受験のときだったか、大学受験のときだったか、母親が「テキにカツ」という実にありきたりな発想で、ステーキとトンカツを作ってくれたことがあった。
 母心には深く感謝するが、翌日、消化不良で惨憺たる有様になった。


 以来、なるべく、そっち方面には近づかないようにしている。
 要するに、ステーキとトンカツが勝利したわけですよ。我が胃腸に。


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