時間緩和薬品

 私は、母親の胎内に、やる気、意欲というものを忘れて、生まれてきてしまった。


 お腹から出てきた直後に七歩進み、一方の手で天を、もう一方の手で地を指しながら、「天上天下唯我あー、かったりぃ」と言ったが、医者や看護婦は聞かなかったことにしたという。


 そんなわけで、さして長生きしたいわけでもないが、特に痛かったり苦しかったりしないなら別に長生きしてもいいかな、と思う。んー、我ながら、見事なナマコぶりである。


 世の中には、長生きしたい、と思っている人が多いらしい――こんなふうに書くと皮肉っぽく見えるけれども、別にそういうつもりはない。


 では、なぜ長生きしたいのか、というと、たぶん、みっつのタイプの人がいるんじゃないか。


 ひとつめは、生きて、自分のまわりなり、世の中なりがどうなっていくのか、見届けたい、という人。あるいは、自分が生きて何とかしなければならない、という責任感のある人。
 子供や孫がいる人、あるいは財産を守らなければいけない人は、こういう気持ちになりやすいんじゃないか。


 ふたつめは、長生きを素晴らしいとする価値観に従う人。


 みっつめは、特に目的や価値観があってというわけではなく、死ぬのが嫌だ、とにかく長く生きている状態を味わっていたい、という人。


 で、最後のタイプの人についてだが、もし、時間についての感覚をスローにできる薬があるとしたら、どうだろう。使いたいだろうか。


 よく、年をとるにつれて、時間の経つのが早く感じられるようになる、と言いますね。


 あの、時間の流れに対する感覚が、ゆっくりになる薬だ。まわりのものの動きがとてもスローモーに見える。


 その薬を飲んだからといって、長生きできるわけではない。しかし、時間がゆっくり流れるように感じられるわけだから、相対的には生きて感じる時間を多く得られることになる。


 もちろん、実用的な面もある。
 まわりがゆっくりと動いて、自分だけシャカシャカ動けるなら、たとえば、オリンピックの陸上100mに出て金メダルを獲ったり(観衆からすると、ひとりだけビデオの早回しで走っているように見えるだろう)、サッカーの試合で、マラドーナみたいな、もの凄く素早いフェイントと動きをしたりして、名誉とお金を得られるだろう。


 しかし、そういう使い方は、何だか品がない。


 そこで、まわりの動きもゆっくりになるが、自分の動きもゆっくりになる、ということにしてしまう。
 要するに、スローモーションの世界の中で、自分もスローモーションで動くのだ。


 これは微妙だ。どうだろう。味わう時間はたくさん得られるが、為せることの量は薬を飲まない場合と変わらない。


 私自身は、いらない。何しろ、普段、歩道を歩いていて、前を高校生やらオバハンやらの一団がノタノタしているだけで、イラつくタチである。
 邪魔、ということもあるが、基本的に勝負はさっさとついたほうがよい、と考えているからだ。
 まわりも自分も、緩慢な動き、なんていうのは、イライラしてしょうがなくなるだろう。


 いや、先に書いた、まわりは緩慢だけど自分はスピーディ、というのもいらないな。いくら、金メダル獲れたって、普段、イライラしっぱなし、というのは、嫌だ。


 では、さらに、時間の流れも遅く感じられるが、考えるスピードや知覚するスピードも遅くなるとしたら、どうだろう。
 つ〜ま〜り〜、あ〜た〜ま〜の〜な〜か〜で〜〜、お〜も〜い〜つ〜く〜こ〜と〜と〜か〜が〜〜、異〜様〜に〜遅〜く〜な〜る〜の〜だ〜〜。あ〜〜〜、す〜こ〜し〜〜ま〜〜え〜〜に〜〜、蚊〜〜が〜〜、刺〜〜し〜〜た〜〜な〜〜あ〜〜〜〜、だ〜〜ん〜〜〜だ〜〜〜ん〜〜〜、か〜〜〜ゆ〜〜〜〜く〜〜〜〜〜な〜〜〜〜って〜〜〜〜〜き〜〜〜〜〜た〜〜〜〜〜〜ぞ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。


 す〜〜〜〜〜べ〜〜〜〜〜て〜〜〜〜〜が〜〜〜〜〜ス〜〜〜〜〜ロ〜〜〜〜〜モ〜〜〜〜〜シ〜〜〜〜〜ョ〜〜〜〜〜ン〜〜〜〜〜の〜〜〜〜〜世〜〜〜〜〜界〜〜〜〜〜〜〜。


 で〜〜〜も〜〜〜、知〜〜〜覚〜〜〜も〜〜〜お〜〜〜そ〜〜〜く〜〜〜な〜〜〜った〜〜〜ら〜〜〜、時〜〜〜間〜〜〜の〜〜〜か〜〜〜ん〜〜〜か〜〜〜く〜〜〜も〜〜〜お〜〜そ〜〜く〜〜な〜〜る〜〜か〜〜ら〜〜、け〜〜っきょ〜〜く〜、ふ〜つ〜う〜に〜生〜き〜て〜い〜る〜と〜き〜の〜ス〜ピ〜〜ド〜感〜と〜、同じになってしまうのかな。


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