血液型

 血液型性格判断とか、血液型占いというものがあって、かなりの人が信じているようだ。


 イギリス人は過半数の人が占星術を信じている、という話を以前に何かで読んだことがある(相変わらず、出もと不明のn次情報の垂れ流しで申し訳ない。血液型性格判断占星術を信じるのは勝手だが、私が書くことはあまり信じないでいただきたい)。
 日本人にとっての血液型性格判断というのも、イギリス人にとっての占星術と同じ位置づけにあるのかもしれない。


 血液型と性格の間に関連があるのかどうか、もちろん、私は知らない。が、どうやらこれは心理学方面でも問題になっているらしくて、統計的にはまったく関連が見られない、という話は聞く。
 逆に関連がある、というデータもあるそうで、血液型性格判断に関する本やサイトはそっちの立場をとるようである。自分で否定するわけにはいかないから、当然だろうけど。まあ、商売だしね。


 人と話していても、血液型で性格はかなり決まる、と信じている人は多い。テレビでほとんど「事実」のように扱っているのもしばしば見る。
 「あんなあ」と、谷岡ヤスジの牛と化して思うのである。
 まあ、罪がないといえば罪がない話なのかもしれないが、多少は疑ってかかっておいてもいいんじゃないか。私は約98.4パーセント疑っている。


 いや、罪がないとも言っていられないか。
 以前にテレビ番組で、いろんな国の人の血液型の割合、というのをやっていた。軽い調子でだが、その国の人の性格と血液型を結びつけるような発言を出演者がしていた。
 ああいうのはとてもよくない傾向だと思うのだ。


 なぜなら、たとえば、日本人にも勤勉な人もいれば、私のように来世はナマコかミツユビナマケモノに生まれたいと願っている人間もいるからである。シャイで女の子に声をかけられないイタリア人だって、きっといるだろう。
 あやふやなもの(国民性とか民族性とかいうヤツ)にあやふやなもの(血液型別の性格とかいうヤツ)を掛け合わせて判断すると、偏見がさらにひどくなると思うのだ。いや、マジで。


 批判精神、というと堅くなるけれども、ある程度、物事を広く見られる人間と思われたいなら、血液型と性格の関連は、話半分で聞いておいたほうがいいと思う。
 そうじゃないと、定置網に引っかかっている魚のように間抜けに見える。


 とか何とか書いてきたけれども、血液型性格判断のよくないところは、当たっているかどうかはともかく、あまり面白くないところだ。ロマンも馬鹿馬鹿しさも驚きもない。
 おそらく、そこにある一番大きな要素は「確認」である。


 しかし、たかが「確認」が、なぜこうも受けているのだろうか。そんなことを話したほうが、「○型」だからどうしたこうした、と話すより面白いと思うのだが。


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