「大合唱」という言い回しがある。「整備新幹線の早期着工を求める地元の大合唱に押されて」、代議士の方々がいろんな人にいろんなことをいろんな手口でしたりするらしいのだ。
代議士の方々はまあ、各人の活動に勝手に励んでいただけばよいが、さて、地元の大合唱。あれは、実際にはどういうものなのだろうか。
あの、躁状態としか思えないベートーベンの第九第四楽章「歓喜に寄せて」に合わせて、地元の方々がこんなふうに歌うのか。
(♪ミミファソ、ソ ファミ レ、ドドレミ、ミ〜 レレ〜)
♪せ〜び〜ぃ、しんかんせんの、そぉ〜き、ちゃあっこぉ〜
そういうものを、土日、地元に帰るたびに毎回聞かされるとしたら、そりゃあ、代議士の方々も早く着工させたくなるだろう。顔には出せないが、こりゃかなわん、と、内心、迷惑に思っているだろうからだ。
ともあれ、あの「地元の大合唱」、というのは、商品が大ヒットした会社の「うれしい悲鳴」とともに、私が一度、聞いてみたいもののひとつである。
大合唱をするのは、地元だけではない。政財界であるとか、労働組合であるとか、郵便方面の人々であるとか、プロ野球のゴタゴタに不満を持つファンであるとか、まあ、実にいろいろな人々が大合唱をしたがるようである。
どうやら、人間は、集団になると、大合唱というものをしてみたくなる性質を持っているらしい。
とはいえ、集団であっても大合唱をしない、あるいはできない人々もいる。
広域指定暴力団組員達による大合唱
というのは、聞いたことがない。
暴走族の人々による大合唱
も、不可能ではないだろうが、どうも、実際にそんなものがあったら、困る気がする。
あるいは、
引きこもりの人々による大合唱
というのも、まあ、条件的に難しいようだ。
しかし、
宗派の違いを超えたお坊さん達による大合掌
というのは、一度、見てみたい。千人からの坊主が西に向かって、いっせいに手を合わせるのだ。