困った心持ちになる言い草

「そんなこと、法律で決まってんですか!」


 という言い草があって、耳にすると何だか困った心持ちになる。


 なぜ困るのか考えてみても、わかるような、わからないような、である。


 仕方がないので、コマッタ、コマッタ、と自分の井戸を覗いてみた。


 もちろん、世の中には不文律とか道徳というものがあって、「法律で決まってんですか!」と言われると、イヤネ、ソイコトジャナクテサ、と思うというのはある。


 例えば、ヤクザがしくじって、上の人から「おう、おめえも極道なら、指つめろや」と言われたとする。


「そんなこと、法律で決まってんですか!」


 と言い返したら、たぶん、ヤクザの人々は困った心持ちになるだろう。
 基本的に乱暴でありながらも折り目を大切にする人々であるから、1本で済むところを2本なくすことになる。法律より不文律が物言う業界、というのはあるのだ。


 あるいは、こちら側に、できれば法律なんていうややこしいものとは無関係に生きていたい、という気持ちもあるかもしれない。


「あのねえ、駅前で歌うのは勝手だけど、もう少し上手くなってから歌いなさいヨ。だいたい、ストリート・ミュージシャンが『かえるの合唱』はないでしょうが」
「そんなこと、法律で決まってんですか!」


 そんなこと、法律で決まっていない。でも、あんまり勝手されるのも困る。それじゃあ、いっそ「駅前で音痴が歌ってはならない」、「ストリート・ミュージシャンの『かえるの合唱』は懲役」と法律で決めるか――。
 とまあ、さすがにそれは極論だが、そんなふうに物事が流れていくのは、ヤだ! という気持ちもあるようだ。


「法律で決まってんですか!」という類の考え方は、自由を謳歌しているようで、逆に物事を不自由な方向に持っていきかねないと思う。まるでジジイの言い草だが。


 わたしは、どうも世の中が窮屈な話で埋められていくのが、イヤであるらしい。


 いつだったか、外を歩いていたら、5、6歳のガキに母親が怒っていた。


「そんなことする権利、あなたにあるのっ?!」


 何に怒っていたのかは知らないが、イヤーな心持ちになった。


 なるべくテキトーでいられる世の中がいいと思う。

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「今日の嘘八百」


嘘四百九十九 法律用語が難解なのは、法曹界既得権益を守るためである。