ある意味

 はしょりたいときや、多少の留保をしたいとき、あるいは逃げ場をつくっておきたいときに、「ある意味」という言葉がよく使われる。


「ある意味で現代社会の歪みが生んだ悲劇である。」


 などというふうに使うのだ。


 こう書いた人に、「その現代社会の歪みとは何ですか。本当に歪みと言えるのですか。そもそも、歪みについてあなたはどれだけのことを知っているのですか。現代社会の歪みについて、あなたはちゃんと必要かつ十分に説明できるのですか」とたたみかければ、相手は、まず十中八九、言葉に詰まるか、怒り出すか、わけのわからない弁解を始めるか、泣いてママの元に帰るだろう。
 なぜなら、十中八九、そんなに深くは考えずに書いたからだ。


 まあ、武士の情けだ。そういう場合は、見逃してあげるべし。


 もっとも、たいていの人はこういう文章をさらりと読み流す。かなりのパーセンテージで、書くほうもさほど深く考えずに書き、読むほうもさほど深く考えずに読むのだ。
 そうして、川は流れ、人はジジババ化していくのである。ああ、無常。


 もちろん、私はこういう言い回しを否定しているのではない。こういう表現を使って、日々、行われているコミュニケーションというものを、面白がって見ている。
 ま、武器や道具はいろいろとあったほうが楽しいんですよ、ある意味。


 日本国憲法に、「ある意味」を入れてみようか。ある意味、似たような働きを持つ「ある種の」も混ぜる。まずは前文から。


ある種の日本国民は、ある意味で正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつてある種の自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再びある種の戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを、ある意味で決意し、ここにある種の主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の、ある意味で厳粛な信託によるものてあつて、その権威はある意味で国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利はある種の国民がこれを享受する。これは、ある意味で人類普遍の原理であり、この憲法は、ある意味でかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及びある種の詔勅を排除する。


(中略)


日本国民は、国家のある種の名誉にかけ、ある意味で全力をあげてこの崇高な理想とある種の目的を達成することを誓ふ。


 へっぴり腰の憲法というのも、なかなかいい。


 憲法第一条。


第1条 天皇は、ある意味で日本国の象徴であり日本国民統合のある種の象徴であつて、この地位は、ある意味で主権の存する日本国民の総意に基く。


 大江健三郎の「曖昧な日本の私」という大ヒットフレーズがぴったり来ますね。


 憲法第十四条。


第14条 すべて国民は、ある意味で法の下に平等であつて、人種、ある種の信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、ある意味で差別されない。


 まあ、実際、現実はこんなところだと思う。法の下といったって、いろいろほころびはあるし、隠微な形の差別だってあるから。


 かたっ苦しくなったので、漱石先生にご登場いただく。


 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば、ある意味で角が立つ。情に棹させば、ある意味で流される。意地を通せば、ある意味で窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、ある種の安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、ある意味で画が出来る。
 人の世を作ったものは、ある意味で神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が、ある意味で住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。ある種の人でなしの国は人の世よりも、ある意味でなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、ある意味で寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人というある種の天職が出来て、ここに画家というある種の使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に、ある意味で尊とい。


 なんだか、理屈っぽい文章になってしまった。理屈好きの人々が、意外に、「ある意味」というフレーズをよく使うせいだろうか。


 まあ、確かに、智に働けば角が立ちますからね。


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