透視能力

 透視能力というものが本当に存在するのかどうかは知らない。

 おれは今ちょうど人間五十年下天のうちにくらぶればなんだが、透視能力は、ガキの時分のSF小説だの漫画だのテレビのヒーロー物だのによく出てきた。よく知らないが、今の少年少女にとっても事情はあんまり変わらないのではないか。

 なかなかに興味深い能力である。たとえば、ギャグ漫画なんかには女性の服だけ透視して見る、なんていうちょっとエッチな話が出てきて、萌え出づる春の手前くらいのおれはよく鼻血を出していたものだ。

 しかしまあ、これを実現するには、能力的に「身体(裸体)」と「服」というレイヤーを切り分ける必要があり、なかなかの難事のように思う。温度か何かで身体と服を分けることもできそうだけれども、ヒートマップのような人体を見て誰が興奮するものか。あれ? 別に裸で興奮するしないの問題じゃないか。

 普通に考えると、一番ありそうなのはCTスキャンのように人体や対象物を輪切りにして見る原理である。人の秘密を探ったり、医者が病巣を発見したりするには便利だろうが、人体を輪切りにして眺めたって面白そうではない。SF的なロマンはない。

 あとは形質にしたがって内臓や血管を見分ける手法が考えられる。人体模型を見るようなもので、ちょっと気色悪いのではないか。うっかり人体内のウンコを透視してしまったりするので、考えものである。好きな女の子のウンコを見た日にはもう。

 ところで、後天的に透視能力を授かれば先に書いたようなエッチな動機で楽しめるかもしれないが、先天的に透視能力を持っていた場合はどうなのだろう。小さい頃から人の裸を見放題となれば、思春期の頃には興奮しなくなるんではなかろうか。ははあ。人類に透視能力が発達しなかったのは、そういう能力を持つ人間が突然変異で生まれても子孫を残す気になれなかったからだな。読みすぎか。

驚きの白さに

 

ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史

 

 芸術家や芸人が、その芸術なり芸事に取り組んでいる瞬間に感じることを上手に説明してくれると、目が開かれた心持ちになる。画家の山口晃が書いた「ヘンな日本美術史」はそんな本だった。

 当たり前だが、画家は筆先の線や塗り、あるいはその向こうにある何かと日々、格闘している人々だ。他の画家が描いた絵を見るときも、素人とはちょっと違う視点で見ている。そういう視点の一端を紐解いてくれるのは、おれのような馬鹿者には大変に新鮮であり、発見があり、文を追っていくのが楽しかった。おれは今まで絵を見るとき、いったい何を見ていたのだろうか、と思う。

 いろいろ紹介したいところがあるのだが、今日は一箇所だけ、書き移す。

 

(……)私たちが美術館などで絵を見る時は、大抵の場合、きちんとした明かりの下です。しかし、昔の絵がどこに飾られていたかと云うと、今と比べると格段に窓や照明の少ない部屋の中だったはずで、必然的に少し暗い場所であったと想像できます。

 歌舞伎の化粧があそこまで派手なのも、舞台という広くて暗い空間で映える為のものでしょう。のっぺりとしたけばけばしさが、暗い所で見ると、ふわっと浮かび上がる抜群の効果を生んだりするのです。

 絵を鑑賞する時の環境はこのように非常に重要なものですが、悲しい事に、現代ではそれが蔑ろにされている事が多いのです。

 

 おれも同じことを思っていた。少なくとも江戸時代以前の絵は外からの、あるいは蝋燭からの横向きの光で見たわけで、今の美術館の上からの白色照明とは異なった見えだったはずだ。極論すると、おれたちは今、当時の絵師や持ち主たちとは違う絵を見ているとも言える。

 山口晃が書いているように、歌舞伎も同じである。今の歌舞伎の生白い化粧顔は、江戸時代や明治頃の観客からすると随分奇異で、もしかすると笑い出したくなるようなものなんではないか。

 京都で昼に外を歩いていて舞妓さんに出くわしたときも同じことを感じる。あの極端な生白さと唇の紅は薄暗い空間で見たときにちょうどよく見えるよう調整されたものなんだろう。外で昼間に見ると、舞妓さんにはできれば直接会って謝罪したいが、ちょっと気色悪く感じてしまう。

 本来は美術館の照明を暗い横向きにしたり、歌舞伎の照明を暗い赤っぽいほむらにしたりすればよいのだろうけど、来館者や観客から「よく見えない」と文句が出そうだ。見る側も心得と我慢が必要なのだと思う。今となっては無理かもしれない。山口晃はこんなことも書いている。

 

自転車に乗る事を思い浮かべてほしいのですが、あれは一度乗れるようになると、どうやっても乗れてしまいます。むしろ乗れない事ができなくなる。ムリに乗れない風をやろうとすると、とてもワザとらしくなります。

 

ダメを喜ぶ心

「千里の道を一歩目からすっ転ぶ」。おれが昔につくった言葉だ。割に気に入っている。「期待を一身に背負って、そのまま前に倒れる」という言葉もつくった。最近、「行き当たり、ばったり」という言葉を思いついて喜んだのだが、これは以前に思いついた言葉をただ思い出しただけかもしれない。

 絵と合わせると、もっと味わい深くなりそうだ。

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千里の道を一歩目からすっ転ぶ。

 

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期待を一身に背負って、そのまま前に倒れる。

 

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行き当たり、ばったり。

 

 絵を使いまわして申し訳ない。

 なぜにこのようなダメになる言葉をおれが好むかというと……よくわからない。

 脱力は楽になってよい、というのはある。あるいは、一種自虐的な態度でもあり、自虐も愛の一種だから(関係ないが、自虐史観というのは愛国の表現である)、自己愛の表れでもあるのだろう。

 ガキと同じく、真面目な物事を茶化して喜んでるのだとも考えられる。茶化すというのは茶と化すわけで、憂き世を浮き世と言い換えるようなあきらめの先にある開いた態度とも言える。茶人でげすな。

 もっと凄いところまで行くと、仙人が普通人を、己の手の内を見せないでフォッフォッフォと笑って見下すような心持ちにも通ずる。己の手の内を見せないのだから、なかなかに卑怯者である。もっとも、手の内を見せるとすぐに偽物とバレてしまうから、卑怯者には卑怯者なりの計算があるわけだ。実力はないから、自己韜晦はできない。

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社会と世の中

 おれは「世の中」という言葉が好きで、いっそ結婚したいくらいだ。というのはさすがに嘘だが、好きだというのは本当である。

 世の中という言葉は人のにおいのするところがいい。これが「社会」となるとどうも固苦しく、そこで息づいている人の感じがしない。

 世の中という言い方はまた曖昧であって、どこからどこまでが世の中でどこから先がその外なのかよくわからない。世の中と呼べるのはなんとなく噂の届く範囲という感じはするが、SNSなどが広まると地域では分けられないふうになってきて、ますます曖昧度が進んでいる。その曖昧な感じがおれは好きである。

 似た言葉に「世間」というのもあって、またちょっと違うニュアンスがある。「世間さまが許しませんよ」なんて言い方はあるが、「世の中さまが許しませんよ」とは言わない。思うに、世間には共通の道徳というか、なんとなくのお互いの了解事項というものが関係していそうだ。しかし、こうグローバル化していろいろな人が入り乱れてくると、共通の道徳や了解事項もこしらえにくく、世間さまという了見がしにくくなってきているかもしれない。

 社会という言葉もそれはそれでいいのだが、「社会貢献」なんぞという言葉にすると、どうもリッパすぎ、大げさすぎる感じになる。「世の中貢献」と言ったほうが貢献の度合いもいろいろありえてよいと思うのだがどうだろう。

 一方で、「社会主義」というのを「世の中主義」と言い換えてしまうと、なにやらぼうっとしてよくわからない。そりゃあ、世の中は大事だよな、で終わってしまい、マルクスとかレーニンとか志位委員長といった人々が張り切れなくなさそうだ。社会は建設できるが、世の中は建設できない。このあたりが、社会と世の中の案外芯に近いところの違いなんではなかろうか。

呼び捨てでよいのか

 サイトウ・キネン・オーケストラというクラシックの楽団があって、おれもCDを一枚持っている。小澤征爾がよく指揮をすることで有名だ。楽団といっても常設ではなく、音楽家で教育者の齋藤秀雄の弟子筋、あるいは小沢征爾(彼も齋藤秀雄の弟子)の知人の演奏家などが折々に集まって演奏するのだそうだ。

 齋藤秀雄の遺徳、あるいは功績を記念して「サイトウ・キネン・オーケストラ」と名乗っているのだろうが、ハテ、と思うのである。そんな立派な人を呼び捨てにしてよいのだろうか。いっそ「サイトウさん・キネン・オーケストラ」と敬称をつけて呼んではどうか。

 同じ伝で、競馬方面には有馬記念という大きなレースがある。年末にファン投票で選ばれた競走馬が走るオールスター戦だ。

 有馬記念は、日本中央競馬会の二代目理事長、有馬頼寧(ありま・よりやす)を記念して名付けられたそうだが、これも本当はきちんと「有馬さん記念」と呼んだらどうだろうか。あるいは、「有馬ちゃん記念」というのも親しみがこもって、よいように思う。

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有馬ちゃん

 

 

伝説化のプロセス

 先週、司馬遷の「史記」のエピソードには神話、伝説、事実の3つのフェーズがあると書いた。そして、読んでいて最も面白いのは伝説である、と。

 考えてみれば、当たり前である。伝説というのはいろんな人々の間で話が面白く伝わっていくうちに形成されていくものだからだ。噂話について考えてみればわかるが、伝わっていくのは事実ではなく、話の「面白い部分」である。話から面白い部分を選り抜いて、つまらない部分や、話し手にとって都合の悪い部分は捨ててしまい、面白い部分をさらに面白くなるように話を作り変えたり、付け加えたりしていく。そういうプロセスをいくつも経て、伝説はできあがっていくのだとおれは思う。

 そういう意味では、伝説というのは人々の「こうあってほしい」という期待が結晶化したものと言える。ヒーローだけでなく、アンチヒーローについても「悪役はこういう悪であってほしい」という期待が伝説として結実するのだろう。もし集合的無意識というものが存在するとしたら、それはオカルト的なものではなく、伝説化のプロセスの中で積み重なっていく「こうあってほしい」という期待の集まりみたいなことなんではないか。

 司馬遷の時代の伝説化のプロセスについておれには知識がないけれども、おそらく口づてと書によったのだろう。書にはもっぱら木簡、竹簡が使われた時代だから、文は簡潔でそぎ落とした表現が望まれ、ニュアンスより話の大筋が重視されたろうと思う。伝説のバリエーションの数も、後世より限られていたのではないかと思う。

 ずっと時代が飛んで、近世になると伝説化の手段、経路は爆発的に増えたと考えられる。中国の元、明の時代は講談や芝居が随分盛んになったそうだ(その結果、生まれたのが水滸伝三国志演義である)。日本でも、江戸時代には講談や芝居で荒木又右衛門や源義経大石内蔵助が描かれるように、ヒーローは「こうあってほしい」という像がさまざまな形で語られ、演技された。さらに近代〜現代となって、小説や漫画、映画、この頃ではゲームも加わって、伝説のバリエーションがどんどん増えていった(戦後にあって、歴史上の人物の伝説化に最も大きく影響を与えたのは、司馬遼太郎に代表される歴史小説と、NHK大河ドラマだろう)。

 伝説はもちろん面白いし、楽しいのだが、一点、政治的判断のベースになるのはいささか危険だろうと思う。「こうあってほしい」という期待と、「実際はこうなる」という事実は別のものだからだ。

 たとえば、今でも「サムライ」を好んで語る人は多いけれども、おれには、実際の侍が、今、小説や映画、テレビドラマ、ゲーム、スポーツにまつわるあれこれ(サムライジャパンとか)で語られるものだったとはどうにも思えない。今の「サムライ」は小説や映画(七人の侍!)などで「こうあってほしい」という像が結実したものなんだろう。それを事実と取り違えて、日本人の精神性と結びつけて語るのは、実はかなりあやういことなんではないかと思う。

史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫)

神話、伝説、事実

 前回書いた史記は漢の司馬遷が紀元前91年頃に完成させたものだそうだ。黄帝、堯、舜などの五帝に始まり、司馬遷の仕えた武帝の時代まで記している。

 読むと、古い話から順に、「神話」、「伝説」、そして司馬遷が直接体験したり耳にしたりした「事実」の3つのフェーズがあるように感じる。

 五帝の時代から、禹の始めた夏(か)までは神話である。殷は伝説と神話の中間的な印象(古事記ヤマトタケルのような感じ)。周から春秋、戦国、秦、項羽、漢の初期までは伝説の色が濃い。文帝、景帝、武帝の頃の話は司馬遷にも近しく、また王朝の基礎が定まって官吏による記録も多いせいもあるだろう、直感的に事実、あるいはそれに近いものと感じられる。その分、読んでいて面白みはあまりない。

 史記の内容が躍如して面白いのは、春秋から、項羽と漢の劉邦の争いの頃までである。この間、多くのスターが登場する。漢の建国が紀元前206年だから、史記が成立した紀元前91年までに115年が経っている。今日(2017年)から逆算して115年前といえば1902年。日露戦争の前くらいだ。

 115年は事実が伝説化するのに十分な時間だろう。司馬遷の頃と現代では話の伝わり方や記録の仕方が全然異なるから、伝説化のプロセスは違うだろうけれども。