ダメを喜ぶ心

「千里の道を一歩目からすっ転ぶ」。おれが昔につくった言葉だ。割に気に入っている。「期待を一身に背負って、そのまま前に倒れる」という言葉もつくった。最近、「行き当たり、ばったり」という言葉を思いついて喜んだのだが、これは以前に思いついた言葉をただ思い出しただけかもしれない。

 絵と合わせると、もっと味わい深くなりそうだ。

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千里の道を一歩目からすっ転ぶ。

 

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期待を一身に背負って、そのまま前に倒れる。

 

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行き当たり、ばったり。

 

 絵を使いまわして申し訳ない。

 なぜにこのようなダメになる言葉をおれが好むかというと……よくわからない。

 脱力は楽になってよい、というのはある。あるいは、一種自虐的な態度でもあり、自虐も愛の一種だから(関係ないが、自虐史観というのは愛国の表現である)、自己愛の表れでもあるのだろう。

 ガキと同じく、真面目な物事を茶化して喜んでるのだとも考えられる。茶化すというのは茶と化すわけで、憂き世を浮き世と言い換えるようなあきらめの先にある開いた態度とも言える。茶人でげすな。

 もっと凄いところまで行くと、仙人が普通人を、己の手の内を見せないでフォッフォッフォと笑って見下すような心持ちにも通ずる。己の手の内を見せないのだから、なかなかに卑怯者である。もっとも、手の内を見せるとすぐに偽物とバレてしまうから、卑怯者には卑怯者なりの計算があるわけだ。実力はないから、自己韜晦はできない。

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