相変わらずアホみたいな想像について書くのだが、日本語を機械で書けるようになったのはおおよそワープロ専用機が登場してからである(日本語タイプライターというものも昔存在したらしいが、普及はしなかった)。それまではたいがい紙に筆記具で手書きしていた。ワープロ専用機が普及し始めたのはおれが大学の頃だから、せいぜい30年ばかり前である。
それ以前の作家先生たちはたいがい原稿用紙に書いていたのだろうと思う。
で、なんでそんなことが頭に浮かんだのか自分でもよくわからないのだが(おそらく、脳内回路が混線しているのであろう)、ドリフターズの「いい湯だな」、あの歌詞を原稿用紙に書くというのはどんな具合だったのだろうか。
調べてみると、「いい湯だな」の作詞はなんと、永六輔である。
永六輔がどんな筆記具を使っていたのかは知らないが、ここはひとつ、大物先生らしく、深緑色のモンブランということにしておこう(モンブランというのは万年筆ですよ、わこうどのミナサン!!!)。
座椅子に机。永六輔がじっと考え込んでいる。ふと天啓が下り、目の前の原稿用紙にやおら書き下ろす。
ババンバ、バン、バンバン。
このフレーズも相当だが、この後が凄い。
ハァー、ビバノンノン。
この音の美味しさ。実際に口にしてみてほしい。「ビバノンノン」。永六輔は天才なんではないか。
繰り返すが、作詞家はこれを原稿用紙に書いたのである。万年筆で。モンブランで。たぶん。
守屋浩が歌った「僕は泣いちっち」も、歌詞を原稿用紙に書き下ろすシーンを想像すると、なかなかイケる(作詞は浜口庫之助先生)。
僕の恋人、
歌謡曲だ、この文句は別にいい。問題はこの後だ。浜口先生、ぶっといモンブランで原稿用紙に、
東京へ行っちっち。
バカか、キミは。